おふくろが死に、愛犬が死んで、次はオレの番か | ARKのあんなこと、こんなこと

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「我以外みな師なり」を胸に、街に溢れる教えに感謝の備忘録

 

来週にはおふくろの命日がやってくる。

 

享年91歳。

 

10年前のことで大往生だった。

 

 

その朝、柴犬の散歩を終えて母宅(今ボクがデスクを置く、旧宅の一階)を覗くと命が消えそうなことが見て取れた。

 

カミさん、実弟夫婦がすぐ駆け付けた。

 

最後の脈は、ボクがとり、みんなで声を掛ける中、静かに逝った。

 

 

急を知り、飛んできたかかりつけ医が、死を確認し、ボクに聞いた。

 

何時何分頃だったでしょうか?

 

それが母のこの世とおさらばした時間となった。

 

 

告別式の日、母がお世話になった地元の老舗中華料理屋さんが、ご夫妻揃って来てくれた。

 

その手には、出前用のおかもち。

 

礼服におかもちの奇妙な格好だった。

 

 

恐縮するようにオヤジさんが言った。

 

おばちゃんが、喜んでくれると思って。

 

中には、チャーシューメン。

 

 

晩年のおふくろのこの店での定番は、これだった。

 

店も注文も聞かず「おばちゃんいつものやつだね」。

 

 

だが

店は、チャーシューメンと一緒に小さなビニール袋を添えてくれた。

 

チャーシューのほとんどを残し、我が家の柴犬にもって帰るのを楽しみにしていることをよくご存じだからだ。

 

 

カミさんも実弟も義妹も、そのなんとものご厚意に思わず涙。

 

ボクですら涙しそうになった。

 

 

祭壇にチャーシューメン。

 

遺影のおふくろの顔がほほ笑んでくれたような気がしたものだ。

 

 

歳が前後するお友達が次々と消えていき、おふくろは地元で最後の生き残り。

 

生き字引として、古い地元民から大層慕われ、可愛がっても戴いた。

 

 

今でも古くからの人に言われる。

 

おばちゃんがいなくなって寂しい。

あんな豪放磊落で、気風の良いひとは、いなかったねぇ~。

 

 

チャーシューは、有難く持ち帰って、犬に言って聞かせた。

 

これ、おばあちゃんからだからな。

 

 

このおふくろの死から数年し、愛犬の衰えがはなはだしくなった。

 

母の最期を看取った一階に机や資料、書棚などを持ち込み、犬との同居生活が始まった。

 

 

和犬の特性なのか、育て方が悪かったのか、我が家の柴は超の付くマイパースで媚びを売るなんて全くなく、人からおやつさえもらわない唯我独尊を絵に描いたようなヤツだった。

 

おふくろとは妙にウマが合っていた。

安心して甘えもしていた。

 

 

同居生活を初めて半年くらいか(もう少し長かったか?)、我が家の柴犬も大往生した。

 

こいつも最後はボクが看取った。

 

16歳だったから、人間にすれば、おふくろと同じくらいの歳になるだろうか。

 

 

おふくろの死に、感謝の言葉も涙も無かったボクも、どうにも涙をこらえることができず大泣きした。

 

有り余る感謝の言葉も口にした。

 

遺骨は、カミさんの親しくする近所の寺にお願いし葬っていただいた。

 

 

昨日、本を探す用事もあったので、気晴らしを兼ねて神田明神、湯島聖堂から神保町の古書街へ。

 

出かける時に、件の中華料理屋のオヤジさんとバッタリ会った。

 

おばちゃん、亡くなって何年になります?

 

告別式でのチャーシューメンを思い出し、しばし立ち話した。

 

 

おふくろが亡くなって10年。

そして

柴犬が亡くなって7年になる。

 

 

生前、互いに気の合ったバアサンと犬。

 

だが

不思議なめぐりあわせか、それとも天の粋な計らいなのか。

 

奇しくも、彼らの命日は同じ、11月15日。

 

あっちの世界で仲良く、元気にしていることだろう。

 

 

最後は余談。

 

お茶の水、神保町辺りを歩くと、一休みする店は、昔から何軒かに決まっている。

 

昨日は、その一つ、「山の上ホテル」で一服することにした。

 

 

女性のホテリエが恐縮しながら言った。

 

カフェは満席で、今、店を閉じています。

 

 

エッ!

満席と言っても、ウエーティングは数名でしょ?

 

申し訳ありません。

ここのところ、待ちは3時間くらいにはなってしまうんです。

 

 

まさに、ギョギョギョだ。

 

昔からよく行くがこんなの初めて。

 

なるほど、リベンジ消費のなせる業なのか、何処を歩いても人の多いことに驚かされる。

 

 

もう一つの定番の店、神保町の老舗喫茶店「ミロンガ」(この店も、すぐ裏から表に移り、新装開店した)。

 

壁の一部は、前の店のもの。

 

聞くと、創業70年とのこと。

 

 

因みに、神保町では、他に行きつけの店が2軒。

 

その日の気分で店を選ぶ。

新しい店に入ることはない。

 

 

同じ店の堂々巡りで、新規のチャレンジは、無し。

 

興味・関心・好奇心が薄れ、冒険心が失せて視野狭窄にまっしぐら。

 

老いの道へもまっしぐらです。

 

 

倒れて一週間。

 

周辺事態が急に慌ただしくなって、うるさい説教に晒されている。

 

おふくろが消え、犬が消え、次はオレ。

 

そんな気がしないでもないが、もう少し静かにしてくれないか。

 

そんな気が頻りである。

 

 

四十、五十は洟垂れ小僧、

六十、七十は働き盛り、

九十になって

迎えが来たら、

百まで待てと追い返せ。

 

こういきたいものですね。