ARKのあんなこと、こんなこと

ARKのあんなこと、こんなこと

「我以外みな師なり」を胸に、街に溢れる教えに感謝の備忘録

 

近いうちに都合の良い日はあるか?

 

なによ?

 

買いたいシャツがあるが、どれにしたらよいか決めかねている。

 

 

自分のものは自分で勝手に決め、相談なんかしたこと無いじゃない。

それに、

私の趣味の悪いのをあげつらい何時も文句ばっかり言ってるあんたとでは、一緒に行ってもケンカになるだけよ。

好きなものを買えばいいんじゃないの。

 

 

池袋の東武百貨店に出かけた。

 

季節も変わり、何か着るものをと「モンベル」が目的だった。

 

東武百貨店にしたのはカードがあるからだけのこと。

 

 

百貨店のカードは、東武と三越の二店だけで、いずれも10%の割引になるが、生憎と日本橋三越には「モンベル」がない。

 

 

「モンベル」に向かって紳士フロアを歩くと「ブルックス」で、同柄、色違いの二着に目を引かれた。

 

久しぶりにブルックスもいいなと思いながら、さらに歩を進めると、また、別のショップが気になった。

 

こちらはデザインの違う二着。

 

 

値段はどれも同じくらいで、3万円でお釣りがくるので、どうにか手持ちの現金でも間に合う。

 

カードで引き落とせば済むことですが、これをすると金銭感覚が薄れるので、昔からこれを好まない。

なので、

少し値段が張るものは、購入に向けての我慢の「つもり貯金」をするのが体質化しています。

 

 

で

後ろ髪をひかれる思いはしたが、今日の目的は「モンベル」だと自分に言い聞かせ、邪念を振り切るようにして「モンベル」へ。

しかし、

これはと思うモノが見つからなかった。

 

 

よし、先刻見たどれかににしようと、もう一度立ち寄ったが、いざとなったら、どうにも決められない。

 

昔から、店員さんのアドバイスを聞くことはない。

で

カミさんを連れてくるか、となった次第です。

 

 

カミさんから「そんなこと今まで言ったことないじゃない」と怪訝な顔をされ、オレはいつからこんなに優柔不断になったのかと思った。

 

 

決められない。

自信がない。

 

何でもかんでも老いのせいにするつもりはないのだが、そう考えようとする自分に不安を覚えた。

 

 

決めかねるのも、思慮、思考の縮み。

 

できたことができなくなる体力、気力の縮みと同じだ。

 

 

例えば

我が家から浅草までは、せいぜい5~6㎞。

歩数にして片道8000歩にもならず、往復しても15000歩程度のこと。

 

数年前までは、当たり前のようにして歩いて往復していた。

が

何時しか、行きか帰りのどちらかが地下鉄かバスになり、今は往復ともバスか地下鉄になっている。

 

 

疲れの目安は、現在、15000歩前後で、これを過ぎると途端に足に来る。

 

やがて、これが1万歩になり5000歩になる日も近い。

 

どんどん進む老いの兆候。

縮む世界。

 

歩数が減ることは、それだけ寿命も減っているのだろう。

 

 

歯・目・マラに続き、頭の身体機能も退化する。

 

要するに、歳とともにすべてのキャパが縮むのだから、沸点が低くなったり、心のコップからすぐに水がこぼれてしまう。

 

 

弱い犬ほどよく吠える。

夜郎自大、空き樽は音が高い、能無しの口叩きともいう。

 

これらは、みな年寄りの悲哀でもある。

 

愚かな年寄りを眼にしたら、怒りや蔑みの目で見るだけでなく、ああ、コイツは先が短くなっているのだと多少の寛容を若者にはお願いしたい。

 

 

「無名人語録」の再掲で終わります。

 

老人と暮らしていない若者が増えたのが、老人に対する思いやりがなくなった原因です。

アイツらは、老人の衰え方を日常的にみてないから理解できないんです。

 

コラァ、若ェの!

オラァ、オマエの未来だぞォ!

 

子ども叱るな 来た道だもの

年寄笑うな 行く道だもの

 

いると困る

いないともっと困る

そういう人に 私はなりたい

 

 

トランプさんの夜郎自大を思っていたら、決められない自分の方が、老いが深刻なことに気付かされた。

 

因果応報、人を呪わば穴二つ。

 

仏教には、気持ちを戒める「意業」の教えがあり、口に出さずとも、心で思っただけで(=意業)自分に災いがやってくるそうです。

 

口は禍の元。

悪い考えも災いのもと。

 

人の振り見て我が振り直せ。

他山の石、反面教師。

 

こちらの方に意を用いた方がよさそうですね。