誰でも乗せる女、イエローキャブ | ARKのあんなこと、こんなこと

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「我以外みな師なり」を胸に、街に溢れる教えに感謝の備忘録

 

NYの街歩きの路上でよくポスターを買った。

 

そんな何枚かが今も残り、デスクの部屋にも吊るしてある。

 

お気に入りの一枚の主役は、イエローキャブ。

 

背景は、ランドマークともいえるタイムズスクエアのノッポビルで、そこにはSUNTORYの広告が。

 

 

毎日、何度も見ているポスターだが、今日は、このイエローキャブを別の意味で流行らせた女性作家を思い浮かべることになった。

 

乗車拒否無し。

 

誰でも乗せる日本女性をイエローキャブに例え、それを著したひと。

 

 

日本の留学女性の尻軽を世に知らしめた感がある女性であるが、その彼女と新宿の京王プラザホテルの喫茶ルームで隣り合わせたことがある。

 

禁煙とか嫌煙とかがやかましくなく、誰もが何処でも遠慮なしにタバコを吸っていた時代。

 

ところが、

彼女は当時から大の嫌煙家だったようで、これ見よがしに嫌な顔をされた。

 

喫煙に寛容な時代だっただけに、嫌みな女だなぁ~という印象だけが残った。

 

 

この誰でも乗せる女。

 

これをボクも過去にひとりだけ知っている。

 

その女の口癖は、村上龍さんばりに「男は消耗品」だった。

 

 

彼女に聞かされた面白い話は山ほどある。

 

だが

今日はそれでなく、少し真面目に横井小楠に触れたい。

 

 

おれは、今までに天下で恐ろしいものを二人みた。

それは横井小楠と西郷南洲だ。

 

勝海舟は「氷川清話」でこう言っている。

 

 

その横井小楠は、熊本のひと。

 

坂本龍馬は、「船中八策」や「新政府綱領八策」で新しい日本をグランドデザインしたことで知られる。

 

しかし、

この下敷きになったのは、ほとんどが横井小楠のコンセプトのようだ。

 

 

同年配の方はよくご存じのように、我々が胸躍らせた子ども時代の映画やラジオ、講談本には、坂本龍馬はほとんどといっていいほど出てこなかった。

 

そんな認知度の低かった龍馬を世に出し、人気者にしたのは、やはり、「竜馬がゆく」の司馬遼だろう。

 

 

だが、それよりずっと以前。

 

龍馬が脱藩し、諸国行脚の駆け出しの頃に、彼に大きな影響を与え、後々の傑人として世に知らしめるきっかけになった一人が横井小楠といえる。

 

龍馬に限らず、高杉新作や吉田松陰なども小楠を師と仰いでいたという。

 

 

この横井小楠は、大酒飲みで酒癖もひどく悪かったらしく、これで何度も失態を演じ、熊本藩での評判は芳しくなかった。

 

そんな彼を取り立て、重く用いたのは、遠く離れた当時の雄藩、福井藩主の松平春嶽。

 

小楠は、春嶽のもとで大いに手腕を発揮し、多くの献策をした。

 

 

「国是三論」(=富国論・強兵論・士道論)で開国通商、殖産興業、富国強兵を提唱。

 

「国是七条」では、大名の参勤交代を止め、奥さんを国元に帰すこと、出自に関係なく広く有能な人材を登用すること、議会政治を行い、海軍を強くすることなどを提案。

 

さらに、

「国是十二条」では、上下に関係なく風通しを良くし、コミュニケーションによる相互理解を促し、人材育成のため学校をつくることを奨励し、海外との付き合いの必要などを言った。

 

 

彼がその必要を強調したのは、

 

・大政奉還

・広く全国から人材を登用する

・主要人事の刷新

・開国と海外との交流

・上下二院の議会政治

・海軍を創設し、強兵をはかる、などなど。

 

 

もうお気づきのように、

後に龍馬が献策した「船中八策」、「新政府綱領八策」にも、さらには、明治新政府の「五箇条のご誓文」にも、横井小楠の考えが色濃く漂っているのが分かります。

 

ついでに言えば、

坂本龍馬の「海援隊」に莫大な資金援助をしたのは、横井小楠を重用した松平春嶽。

 

そして、

その口添えをし、みごとに金を引き出させたのが藩の要職にあった横井小楠だったそうです。

 

 

先述の勝海舟は、幕府の閣老にこの横井小楠と西郷隆盛のすごさと怖さをいい、こんな忠告をした。

 

「天下にこの二人があるから、その行く末に注意なされ・・・・」。

 

そして、

後日、こう述懐しています。

 

「横井の思想を、西郷の手で行われたら、もはやそれまでだと心配していたのに、はたして西郷は出てきたわい」。

 

 

さらに、

いいます。

 

幕末、維新の激しい変化のとき。

こうした大きな変化には、小手先や小理屈では対応できないことを。

 

 

そして、

時代を見抜く炯眼の士として、西郷と横井の二人を挙げ、高く評価し、「氷川清話」ではこうも言っています。

 

この間の消息を看破するだけの眼識があったのは、まず横井小楠で、この間に処して、いわゆる気合いを制するだけの胆識があったのは、まず西郷南洲だ。

おれが知人の中で、ことにこの二人に推服するのは、つまりこれがためである。

 

 

異常の本当の怖さは、異常と思わないこと。

 

その一つの大きな要因は、視野狭窄にある。

 

内向きとご都合主義もそこからくる。

 

 

司馬さんは、龍馬が「世界」という言葉を好んで使っていたと書く。

 

その龍馬には、こんな話も伝わります。

 

剣の達人でありながら、武芸などはいっさい問題にせず、「万国公法」、いわゆる「国際法」に夢中になっていた。(森銑三著「古人往来」を参照)

 

 

龍馬に多大な影響を与えた横井小楠。

 

それをうかがわせる喩をもう一つ。

 

「日本を今一度せんたくいたし申候」はよく知られる龍馬の言葉。

 

この一文は、お姉さん、乙女に宛てた手紙の中にある。

 

 

これと意を同じくする「天下一統人心洗濯希(ねが)うところなり」は、横井小楠が口癖にした言葉と聞けば、小楠を師とも仰いだ龍馬がよく分かります(徳永洋著「横井小楠」新潮新書)。

 

 

昨日は巣鴨の染井温泉。

 

地蔵通りで安い夕食を済ませて帰った。