横井小楠と西郷隆盛、そして、坂本龍馬 | ARKのあんなこと、こんなこと

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「我以外みな師なり」を胸に、街に溢れる教えに感謝の備忘録

 

前記事で、訪問先に「コメント一覧」の開けない方が相当数いることを書いた。

 

本日は、昨日一日のアクセス数がゼロになっている。

昨夜、帰宅する8時過ぎの時点で250名ほどの方が訪問してくれていた。

 

ボクを訪問してくれる方は、9~12時がピークなので、トータルのアクセス数が分からないままである。

 

これまた、ボクのPCの問題なのか、アメブロに何か問題があるのか。

 

どうでもよい話しとは言え、どこかスッキリしない。

 

 

さて

小学校~大学まで同期の連中はまだたくさん残っている。

ボクの中で、恥を晒し合い、バカをやってきた親友と呼べる者は、一人もいなくなった。

 

 

実弟夫婦が月命日の線香をあげに来た。

 

来週、結婚50周年の記念旅行で広島、九州へ行くらしい。

 

話しに出てきた熊本から、今は亡き大学時代の親友を思い出した。

 

 

期末試験を間近に控え、焦りまくっているとき彼は言った。

 

オマエは、全教科に良い点を取ろうとスケベ根性出すから試験が苦しくなる。

捨てる科目を作るんだよ。

 

それ以後、試験に対し気持ちが楽になった。

 

 

彼は地元の新聞社「熊本日日」に入り、論説委員のときに若くして亡くなった。

 

郷土の先哲、横井小楠を敬愛し、彼の話しから小楠の存在を初めて知った。

 

 

半世紀以上も前の大学時代に、新聞連載された司馬遼太郎の「峠」を読んだことで、すっかりフアンになり、それ以後、彼の作品を読み漁った。

 

坂本龍馬を知ったのも司馬さんからで、未だに龍馬像をイメージするときには、その小説「竜馬がゆく」の影響が濃い。

 

 

龍馬は、「船中八策」や「新政府綱領八策」で新しい日本をグランドデザインした。

 

この下敷きになったのは、ほとんどが横井小楠のコンセプトだ。

 

小楠は龍馬に限らず、高杉新作や吉田松陰なども師と仰いでいたらしい。

 

 

勝海舟の「氷川清話」にこうある。

 

「おれは、今までに天下で恐ろしいものを二人みた。それは横井小楠と西郷南洲だ」。

 

 

勝海舟をして、すこぶる畏怖させた小楠は酒癖が悪く、熊本藩の評価は良くなかったらしい。

 

そんな彼の資質を見抜き、遠い地から招き重く取り立てたのが、名君として知られる当時の雄藩、福井藩主の松平春嶽。

 

 

小楠は、春嶽のもとで大いに手腕を発揮した。

 

「国是三論」(=富国論・強兵論・士道論)で開国通商(広く海外と商業取引をすること)、殖産興業(産業、経済を活発にすること)、富国強兵(国を富ませ、軍隊を強くすること)を提唱。

 

「国是七条」では、大名の参勤交代を止め、奥さんを国元に帰すこと、出自に関係なく広く有能な人材を登用すること、議会政治を行い、海軍を強くすることなどを献策。

 

 

さらに、

「国是十二条」では、上下に関係なく風通しを良くし、コミュニケーションによる相互理解を促し、人材育成のため学校をつくることを奨励し、海外との付き合いの必要を強調した。

 

 

もうお気づきだと思います。

 

横井小楠の諸々の献策

 

・大政奉還

・広く全国から人材を登用する

・主要人事の刷新

・開国と海外との交流

・上下二院の議会政治

・海軍を創設し、強兵をはかる、などなど

 

よく見れば、坂本龍馬の「船中八策」、「新政府綱領八策」にも、さらには、明治新政府の「五箇条のご誓文」にも、見事に重なります。

 

 

ついでに言えば、

坂本龍馬の「海援隊」に莫大な資金援助をしたのは、横井小楠を重用した松平春嶽。

そして、

龍馬の口添えをし、福井藩からみごとに金を引き出させたのが横井小楠だったそうだ。

 

 

勝海舟は、幕府の閣老に横井と西郷隆盛のすごさと怖さをいい、こんな忠告もしたと言います。

「天下にこの二人があるから、その行く末に注意なされ・・・・」。

 

そして、

後日、こう述懐しています。

「横井の思想を、西郷の手で行われたら、もはやそれまでだと心配していたのに、はたして西郷は出てきたわい」。

 

 

さらに、

勝海舟はいいます。

 

幕末、維新の激しい変化のとき。

こうした大きな変化には、小手先や小理屈では対応できない、と。

 

 

そして、

時代を見抜く炯眼の士として、西郷と横井の二人を挙げ、高く評価した。

曰く

「この間の消息を看破するだけの眼識があったのは、まず横井小楠で、この間に処して、いわゆる気合いを制するだけの胆識があったのは、まず西郷南洲だ。

おれが知人の中で、ことにこの二人に推服するのは、つまり、これがためである」(氷川清話から)

 

 

変化の時にあって、一番怖いのは、異常を異常と思わない事。

言うところの「ゆでガエル」である。

 

この愚の原因は、

ひとつは、広く、構造的に社会構造を観ない視野狭窄による。

ひとつは、迎合するのを専らとする内向きとご都合主義による。

 

 

司馬遼太郎は、坂本龍馬が「世界」という言葉を好んでいたと書く。

 

その龍馬には、こんな話もある。

 

彼は剣の達人にもかかわらず、そこに価値を認めていなかった。

そして、

「いま時は、これよ・・・・」

そう言って、懐の拳銃を示したという。

 

 

さらに、

武芸などはいっさい問題にせず、「万国公法」、いわゆる「国際法」に夢中になっていた。(森銑三著「古人往来」)

 

 

最後に

横井小楠が坂本龍馬に与えた影響がいかに大きかったかを窺わせるエピソードで終わります。

 

龍馬がお姉さんの乙女に宛てた手紙の中に有名な「日本を今一度せんたくいたし申候」の一文があります。

龍馬が尊敬してやまなかった横井小楠の口癖が「天下一統人心洗濯希(ねが)うところなり」だったと知れば、単なる偶然では片づけられないように思います(徳永洋著「横井小楠」参照)。

 

 

それにしても、まさに風雲急を告げ、混乱と閉塞感の充満する今。

 

待望したいですね。

出でよ、令和の横井小楠、坂本龍馬、そして、西郷さん。

 

 

プールに行った。

秋のつるべ落としとはこういうことか。

一時間少々のプールの間に、明るかった東大が真っ暗になっていた。