難しく言うな、気負うな、こじつけるな! | ARKのあんなこと、こんなこと

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「我以外みな師なり」を胸に、街に溢れる教えに感謝の備忘録

 

 

 

女性には失礼な例えだが、「女の腐ったようなヤツ」とか「女々しい」などという。

そして

この種の男は、簡単なことを難しく、独善的にひねり、そして、コップの片側だけ見て、そのバイアスを知ってか知らずか、いかにも正論のごとく物知り顔で吹聴するのが共通する。

 

その勿体ぶったものの見方、考え方に辟易させられることがある。

 

 

さて

昨日からカミさんは幼友達たちと箱根を代表する老舗旅館へ。

 

彼ら彼女たちは、2~3か月に一度くらいの割合で半世紀以上も親交が続いている。

 

男たちはそれぞれ世界こそ違うが、みな一目置かれる社会的存在で、女友達のご主人も名のある方が多い。

 

名もなく、貧しく、人に誇れる実績もない亭主を持つのはカミさん一人くらいだろう。

 

この老舗旅館もそんな幼友達がもつ一つ。

 

直接に知る人は少ないが、カミさんの話から彼ら彼女たちに共通するのが心の広いこと。

人としての余裕だろうか。

 

 

一人残されたボクは、なぜか、解放気分があって浮き浮きしているところもある。

昨日は靖国神社と千鳥ヶ淵の桜としゃれた。

神保町のいつもの店でコーヒー豆を仕入れた。

 

帰ってからは古い録画を何本か見た。

 

その一本から。

 

 

キミ、ちょっとこっちに来て。

一緒にやろうよ!

 

40代くらいの黒人男性が周りの人たちに声をかける。

 

遠巻きにする人たちは、みな恥ずかしがって応じない。

 

男は盛んに呼びかける。

 

すると、そこに一人の少女が「いいわよ」と言って隣に座る。

 

 

彼女は重度のダウン症で目もうつろで定まらない。

 

男は嫌がる風を見せず嬉しそうに言う。

 

ベートーヴェンをやろうよ。

 

少女は、視点の定まらない表情で返す。

いいわよ。

 

男は「キミは好きな銀盤を叩いていていいからね」と優しい眼差しで促す。

 

そして言う。

 

さぁ、行こう。

 

 

かくて、二人のコラボが始まった。

 

曲はベートーヴェンの「歓喜の歌」。

 

不器用そうな手で、銀盤を出鱈目に叩く彼女に男は声を忘れない。

 

そうそう、その調子。

 

そして

そっと手を添える。

 

 

少女は夢中になって銀盤を叩きながら、得意満面のうれしそうな表情を見せる。

 

男はそんな少女に終始やさしく寄り添い、合わせる。

 

女の子に極上の笑顔があふれる。

 

「駅ピアノ」のロンドン編の一部である。

 

何度見ても、そのたびにやさしい気分をもらえる好きな一本である。

 

 

さてさて

人には相性があるようだ。

 

ものの見方、考え方が違っていても、それを超えて好感をもてる人がいる。

そうはいかない人もいる。

本やブログのように直接知らない人には、その傾向が強くなる。

 

似たようなことを言いながら好きになれる人、そうでない人。

 

これを分けるのは何だろう?

 

 

一つ考えられるのは、その人の使う言葉遣いと文章の組み立て。

 

どうして、そんな勿体ぶったというか、しかつめらしい言い方をしなくてはいけないのか。

 

そして、

この種の人は、時として、思い込みや偏った情報知識で尾ひれをつける傾向も見て取れる。

 

こういう人には、どうしてそこまで斜に構えるのか、拗ねる必要があるのかと違和感が拭えなくなってしまう。

 

拗ねても様になるのは女だけ。

すねる女には可愛らしさもあるが、これが男だったら願い下げ。

 

こんな心境である。

 

 

ちなみに「すねる」を広辞苑ではこう言っている。

 

ねじけて我意を張る。

不平がましく人に従わない。

ひねくれている。

 

しかし、

これはあくまでもボクの独り善がり。

 

以心伝心で、相手は言うだろう。

 

語るに落ちる。

そういうオマエが、その最たる存在であることを知れ!

 

 

言葉と言い回しに、その人が出る。

 

難しいですね。

人のことはとやかく言えるのに、自分のことがわかっていない。

 

その分からないなりに一つ思うことは、ボクの場合は世界が狭い故の劣等意識。

またまた、

その劣等意識ゆえの僻みが出ます。

違和感を覚える人たちも何処かしらにそんな劣後意識があるのではないか、と。

 

 

客観、公平と広い視野には、違った人、違った体験、違った本との出会いを多くすることだろう。

 

人は往々にして、

持ってないから持ちたがる。

知らないから知りたがる。

できないからできるようになりたがる。

行けないから行きたがる。

 

この有無が、これまた往々にして劣後意識に直結してしまう人もいる。

 

小難しいこと、屁理屈を並べ立てる人、しかつめらしく言いたがる人、斜に構える人・・・

 

こういう人にそれが多いような気がする。

 

 

好きな言葉がある。

井上ひさしさんの「難しいことを優しく、優しいことを深く、深いことを面白く・・」

 

そして、

もう一つが城山三郎さんの「静かに行く者は健やかに行く。健やかに行く者は遠くまで行く」

 

ともに無い物ねだりを承知で、そうありたいと思う。

いつの頃からか、目標とする生活信条が「自在」となった。

 

 

囚われない、縛られない、片意地張らない、屁理屈言わない、こじつけない、気負わない、構えない・・・

そして、

よく知りもしないで分かった風なことは言うな。

 

そこには現役時代と全く別の自分がいる。

 

人は変わる。

変われるのかもしれない。

 

そんな淡い希望を抱きながら、こんな人になれればいいと「駅ピアノ」の黒人とダウン症の少女とのコラボを思い浮かべている。