2023.2.4 忍諏訪神社の鳥居

②忍諏訪神社の社殿 1951年(昭和36年)の建立

=忍諏訪神社=

創建 1190年頃

祭神 建御名方命

忍諏訪神社の創建は、後鳥羽天皇の時代の1190年ごろ、忍三郎・忍五郎家らの一族が館を築き居住したころと伝えられます。また、「持田村誌」には成田親泰が、1491年(延徳3年)に忍城を築城し、この時に持田村鎮守諏訪社を忍城の鎮守としたのが、当社であるとも伝えられています。その後も成田氏の代々の城主から崇敬され、1639年(寛永16年)に新たな城主となった阿部忠秋は城郭を修築し、あわせて1645年(正保2年)に本殿を造営、1672年(寛文12年)に拝殿を新たに建立しました。

1823年(文政6年)に松平忠尭が伊勢桑名藩から移封するのにあたり、城内字下荒井へ東照宮と多度社一目蓮社を勧請しました。これらは、1873年(明治6年)に城郭を取り壊す際に、忍諏訪神社の境内に移されることとなり、また、城内各所にあった科斗社、八幡社、久伊豆社、荒神社、春道稲荷大明神、神明社、二の丸稲荷大神、天神社、両棟稲荷大明神の9社も同時に移されることとなりました。

③多度社・一目蓮社の鳥居

④多度社・一目蓮社の社殿

=多度社・一目蓮社=

創建 1823年(文政6年)

祭神 天津彦根神 天目一固神

もともとは、現在の場所から西北に200mほどの場所に位置し、松平忠尭が伊勢国多度山より城内に勧請したものです。当時の境内は300坪ほどあり、5月5日の例祭の日には神楽殿で能が演じられたと言います。1873年(明治6年)に現在地に遷座されました。

⑦忍東照宮の鳥居

⑧忍東照宮の社殿 1930年(昭和5年)の建立

=忍東照宮=

創建 1625年(寛永2年)

祭神 徳川家康 松平忠明 八幡大神

忍東照宮は、徳川家康の娘である亀姫が父の肖像を頂き、後に子の松平忠明に伝え、忠明が1625年(寛永2年)に大和国郡山城内に社殿を造営して、肖像を安置したことに始まります。以来、藩主や藩士の崇敬を集めました。その後、移封のたびに遷座され、1868年(慶応4年)の鳥羽・伏見の戦いの際に、大坂蔵屋敷内の東照宮を、当社に合祀しました。社領は郡山当時より100石を受け継ぎ、明治維新まで続きます。1871年(明治4年)に藩主が東京に移住することになり、祭祀断絶の危機に瀕しますが、旧藩士らの計らいにより同年7月に下荒井の地から本丸の一部である諏訪廓内の忍諏訪神社境内の一角に本殿を移し、1900年(明治33年)に藩祖松平忠明を配祀しました。

⑩手水舎