館山市 城山公園のつつじ編 | Mrs.風来坊の足あと手帖

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千葉県を中心に、休日散策の記録を書いてます。
最近は御朱印収集に目覚め、神社仏閣巡りにもはまってます。

散策以外にモノ作りや日々の呟き事等も書いてます。
よろしくお願いします。

館山市の城山公園のつつじが見事に咲いているとのことで、様子を見に行って来ました。

先ずは、お茶室『雁月庵』を散策。
雁月庵入り口




雁月庵の入り口右手、飛び石の小道を通って日本庭園を散策


雁月庵の広い和室。ガラス越しの向こうに日本庭園が見えます。
こういう和の趣のある場所って良いなぁ。


手水鉢


小さな小川があります


大きな石鉢からの湧き水が小川に流れ混んでます。


さて、雁月庵をあとに、これからつつじを見につつじ園に移動します。
思ったよりもつつじが咲いてなくてちょっと落胆です。




館山城を見に行こうと移動。
山頂広場から館山湾と館山の町並みを見渡してみました。




山頂広場からふと下を見ると、下へ降りる階段があって一面色とりどりのつつじが咲いてました。
つつじが綺麗な場所は、ここでしたか…。


下へ降りて下から館山城を見上げれば、咲き誇るつつじの中に浮かぶ城と言う雰囲気で、とても素敵でした。


つつじが綺麗。パチパチ…。




館山城。
館山城の築城主は源氏の流れ(支流・家祖は源義重)を組む里見義康。里見家は新田氏一族でもあります。
天正8年(1580年)に築城、慶長19年(1614年)廃城となりました。(里見忠義の舅の失脚に連座して安房を没収国替えとなったため)
その後、稲葉正明が館山藩主となりましたが、城を再建することはなかったそうです。
今の天守は昭和57年(1982年)再建されましたが、館山城の資料が残ってなかったため犬山城を模して建てられたそうです。
天守の中は、館山市立博物館分館(八犬伝博物館)となってます。


浅間神社


里見城跡の石碑
左の猿の石像は千人力の猿の像。
昔里見家に飼われていたと伝えられています。


長い階段を降りて八遺巨の供養搭へ


途中藤が綺麗に咲いてました。




八遺巨の供養搭
倉吉(現在の鳥取)に移封され、失意のうちに亡くなった里見忠義が亡くなると、あとを追って8人の家臣が殉死。その8人の家臣の供養搭です。
この家臣達が滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』のモデルだと伝えられてます。


ウォーキングマップ
1.8kmのミニミニコースでした。
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(伊戸漁港散策編に続きます)