15歳、極寒の鶏肉工場でのフリーター生活で学んだこと。 | そんな日もありさ

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株式会社HAPPY ARCH代表取締役。10年間東京と葉山を行ったりきたりして、2020年10月〜海辺の町で暮らし始めました。
女性と地球にやさしい会社を経営しています。
キーワードは女性の働き方・植物・エシカル・サスティナブル。

こんにちは!小島あり彩です。


急に空気が冷たくなってきましたね。

ひんやりした空気に後押しされて、お気に入りのトレンチコートを引っ張りだしました。

いかがお過ごしですか?



今日は、前回の記事で書いた

15歳の頃に高校を辞めて、鶏肉工場でのフリーター生活をしていた頃のこと

を綴っていきます。







人生の中で、高校生と呼ばれる時期が、

ほんの一瞬だけありました。



入学してスカートを折ってみたり、ルーズソックスを履いてみたりしたものの、

夏が過ぎた頃には学校へ行かなくなり、

早々にその環境から離れる決意をすることに。




なぜか?というと・・



15歳の自分が喉から手が出るほど

一番欲しかったものは、


文化祭や放課後のファミレスなどの

高校生らしい青春を共に謳歌する友達でも、


男の子と自転車で二人乗りをしたり、

手を繋ぐことでもなくて、


人生の舵を自分で取ること⛵️


でした。





当時家庭環境があまり良くなかったからか、

誰かが敷いたレールの上を歩いたり、

何かを強制されたり、

自分じゃない誰かの問題の下敷きになるなんて、


これからの人生でぜったいに

受け入れたくなかった。







「どうしたら、自分で人生を自由に切り拓けるようになるんだろう?」


と考えた時に、まずこれだ!と思ったのは、

経済的に自立すること。




大勢の人が歩いていく進学や就職のメインレールから降りた後は、一瞬少し身体が軽くなった気がしました。

でも、すぐに言葉で表しようのない不安や孤独感が襲ってきた。




振り返るとすぐそこに佇んでる

不安に気づかないふりをして

地元の友人と鶏肉工場で働き始めたのが、

その年の肌寒くなってきた頃⛄️




週に5日、朝9時から夕方17時まで、

マイナス数の世界の中、

真っ白の長靴やアームカバーにほっかむり。



時折マスクの外側から漂ってくるのは、鶏の生肉のへんな匂い。


工場で働き始めた当初は、

仕事が終わった後も髪の毛や指先を洗っても、独特の生臭い匂いが取れないような気がして


「小さい頃から知らずにこういうものを食べてたのか・・」と悲しくなり、この頃からお肉より魚派になったのは余談。






初めて出た社会では、何をどうしたらいいのかわからなかったから、まずやることを3つ決めました。



・大きな声で元気に挨拶する


・呼ばれたら全力で走る


・やるべきことを一週間以内に完璧にできるように覚える(基礎が大事!)




↑めちゃめちゃ怖かった中学のテニス部の先輩達に仕込まれたおかげ。ありがとうと言いたい😂






そして、仕事を続けるにつれて・・



たくさん仕事をこなしても、明らかに仕事量が少ない人よりも時給は上がらなかった。



現場の寒さで冷え性になり、腰痛を患うようになって、定期的な整骨院通いになった。



冬の地面が凍ってる朝は、指が凍えて原付のブレーキがしっかりかからなくて、滑ってこけて膝に傷ができた。笑




それでも、経済的に自立する!


というたった一つの自由の光を手に取るために全身全霊をかけて一生懸命働きました。






最初は怒鳴り散らされていたお局三人衆にも、次第に可愛がってもらえるようになり、


月に手取りで16万円位のお給料がもらえるようになったとき、自由の翼が生えて、このままどこでも飛んでいけるような心地がして、本当に嬉しかったな🕊




そして、それが小さな自信の芽となりました。







鶏肉工場で学んだ財産は、

今いる環境で、全力を尽くすという感覚。



そのためにも、そこで何を得たいか、

自分がどうなりたいかという目標を持つ。


そして、人に流されず意思を持ち続けることの大切さ。




自分が選んだ道を正解にするために、

努力する自分でいる。


どんな道を選んでも、そこに正解を求めるのではなく、正解にしようと努力することが心地よい生き方だなって。



そんなことを身体で学んだ期間でした。









この当時の経験は、今へと繋がってきています。



最初は、「人生の舵を人任せにしたくない、

自分で舵を取りたい。」という一心から。



そして、あれから20年経った今でも自分主体で生きる」と自分の生き方の核として残り続けてる。



そして、誰かに満たしてもらおうと期待する生き方よりも「自分で自分を満たす生き方」がブランドを通して、伝えたいメッセージに繋がっています。








そして、もう一つ学んだことは、

日頃口にしている食べ物の裏側

を知ることの重要さ🍴



お店で販売されてるものは、大丈夫だろう・・

となんとなく思っていたりしませんか?


わたしは、そうでした。


でもそんなに世の中の仕組みは

シンプルじゃなく、様々な人の思惑が絡んで

作られているということがわかった貴重な経験ができたと思います。




会社を立ち上げてからも、"食べること"に関する事業を選んできているのも、きっとその時の経験が影響してる部分も大きいはず。







当時は自由になるための羽を持とうと無我夢中だったけど、分厚い雲の先にも必ず光があるように、むだなことなんて、何一つないんだよね。





しかし、経済的な自立ができた!と思いきや、この後、経済的自立の落とし穴を知って絶望に陥ります。笑



続きはまた違う機会に。





ということで、ストーリーのアンケートで、一番票が多かった工場時代の話でした。


面白かった!とか続きに興味があるという方はぜひ感想や読んだよ!をコメント・DMしてくださいませ。


とっても励みになります。






それでは、今日も素敵な一日をお過ごしくださいね。