救世観音像を思い浮かべながら
昨日は息子の運転で枚方までお墓参り。帰りは事故現場を避けるために田辺西から木津ルートで奈良へ入って高速へ。せっかく奈良まで来たのに、ただ通過しただけ。お寺や仏像を拝観するのが好きで、昔はよく奈良へ出かけた。法隆寺も何度か訪れたことがある。救世観音像を思い浮かべながら読んだ本は永井紗耶子さんの「秘仏の扉」(2025年)秘仏・法隆寺夢殿の救世観音像は見るものの心を映し出す。千年以上前に彫られた法隆寺夢殿の救世観音像は、ほとんど人目にさらされたことがない秘仏。明治21年、宝物取調局調査団により、撮影されることに。緊張感が伝わってくる。そして、仏像はその時の人の心を映し出す。少し抜粋させていただきます。九鬼隆一 (宝物取調局委員長)慈しみ深いとも、柔らかいとも言い難い顔だ。その眼差しの先では、肚の奥底に蟠っている黒い塊が、露わになるような心地がした。幾つもの糸が絡み合い、己を縊(くび)ろうとしている。仏の微笑は、黒い塊に怯える己を嘲笑っているかに見え、慚愧(ざんき)の念が襲い来る。畏れよりも恐れが、隆一の中に湧き起こってきた。これを、美しいというフェノロサや覚三の心がまるで分らない。これは…恐ろしいものだ。アーネスト・フェノロサ(宝物取調局 委員)…Forgiveness…そこには「赦し」があると思えた。聖書の「神」の眼差しに、そして神を信じるアメリカの人々の眼に、罪人の子として怯えてきた。しかしここにいるのは、聖書の「神」とは違う。全く異質な、けれども聖なるものなのだ。その眼は、誰のことをも映していない。ただ虚空を見つめ、静かに口元に笑みを湛える。誰一人を救うのではなく、遍く世を救う、救世観音の姿そのものだ。(「秘仏の扉」より)