澤田瞳子さん著

「天神さんが晴れなら」(2023年)

 

 

澤田さんのエッセイは初めて。

 

京都の縁日は

毎月21日の東寺の「弘法さん」、

25日の北野天満宮の「天神さん」

というのは知っていたけれど、

 

「天神さんが晴れなら弘法さんは雨。

弘法さんが晴れなら天神さんは雨」

という諺があるのは知らなかった。

 

だいたい四、五日で変わる天候にひっかけてるらしい。


このエッセイを読んで、

意外な澤田さんのお人柄を知ることができた。

 

京都と能楽をこよなく愛し、

旅好きなのに出不精、

服には無頓着(失礼あせる)

 

小説を読むたびに、

大量の資料を精読されていらっしゃることは想像できる。

 

実在の人物、歴史をもとにして、

作品を描くのは、並大抵のことではないと思う。

 

その思いを書かれた文章の中で、

山岸涼子さんの「日出処の天子」が

引き合いに出されてたので嬉しくなった。

 

その箇所より、抜粋させていただきます。

 

*

 

<伊藤若冲生誕三百年に見る文化財と文化のあり方について>

 

 

「伊藤若冲」という人物は、

創作上での一モチーフに過ぎない。

 

山本兼一氏の「利休にたずねよ」において、

千利休がかつて高麗の女を殺害した男と描かれ、

山岸涼子氏の「日出処の天子」において、

厩戸皇子が超能力を持つ同性愛者として描かれたのと同じく、

伊藤若沖を妻を自死させた人物として設定しても、

それがフィクションである以上、

なんの問題もないと考えてであった。

 

しかし本作は、多くの歴史・時代小説ファンから支持され、

第9回親鸞賞を受賞するに至る一方で、

一部の研究者から批判を受けた。

 

 

小説に虚構の入り込むことを許さぬのは、

フィクションというジャンルそのものの否定と同義である。

 

 

美術作品とはそもそも、研究者だけのものではない。

誰もが自由に眺め、考え、楽しんでよい存在だ。

 

(同志社大学 博物館学年報 2017年3月号)

 

「天神さんが晴れなら」より