樋口恵子さん著
「90歳になっても、楽しく生きる」(2022年)
樋口さんのエッセイは2冊目で、
今回も楽しく読ませていただきました。
私の亡き母親と同年代と思えないくらい、
まだまだ気持ちはお若い。
「かわいいバアサンは真っ平ごめん」とおっしゃる![]()
老人介護を担当されてる方の苦労話を聞いた時の話を
「かわいいお年寄りなら、手を差し伸べたくなるけど、
顔を見たくないようなお年寄りもいる」
介護者の本音に対して、樋口さんの意見は手厳しい。
私は、世話する側にとって、当たり前の感情やと思うけど…
そういう考え方もあるんや、と、共感したので、
少し書き留めさせていただきます。
*
「第5章 その年齢になってみないとわからないこと」
ーかわいいおばあちゃんは真っ平ごめんー
給料をもらって介護サービスにあたる人が、
「かわいい年寄り」だと、よいサービスをする、
ということが、もしもあるとしたら、
それはプロとして恥じなければならないことです。
逆に世話を受ける立場は、いつも世話を与える側にとって、
「かわいい」存在でなければいけないのでしょうか。
だとすると、一生何らかの障害を持ち、
他人の支えを借りなければ生きられない重度の障害者は、
その生涯を通して「かわいい」存在であるように
努めなければならないことになります。
もうひとつ重要なことは、何をもって「かわいい」というか。
「かわいい」というのは
プラスイメージの言葉には違いありませんが、
高齢者へのプラスイメージの形容詞といったら、
ほかにもっとふさわしい言葉があるはず。
「立派な」「品の良い」「落ち着いた」「堂々とした」―
なんでもいいはずなのに、
ここではなぜか子供にもっともふさわしい
「かわいい」という言葉が選ばれています。
従順で扱いやすい。
決して権利を主張しない、
己を殺した老人像が求められているのではないでしょうか。
だとしたら「かわいいお年寄り」が理想となる世の中は、
あんまりいい世の中ではなさそうです。
「90歳になっても、楽しく生きる」より

