精神科医の河合隼雄先生のことを知ったのは、
数年前に読んだ最相葉月さんの「セラピスト」がきっかけです。
その本で、河合先生が私の出身高校と、かかわりを持たれていたことを知りました。
先生は1973年から、市の箱庭療法研究会の拠点を私の母校においてたらしい。
私が高校に在籍していた頃で、箱庭のことはチラッと耳にしたこことがある。
化学の先生が担当していて、興味のある人はどうぞって、おっしゃってたと思う。
どういうものか気になったものの、人と関わるのが苦手な私は、
とても敷居をまたぐことはできなかった。
今振り返れば、残念なことをしたと思う。
時を経て、河合先生の本を読むことができたのは嬉しいです。
河合隼雄先生著 「物語とたましい」 (2021年)
この本は河合先生が1994年から2015年までに書かれた著書の中から、
珠玉の作品を集めて構成された本です。
河合先生が「たましい」と表現されているのは、
「魂」と書くと、かつての大戦を彷彿とさせるかららしいです。
本の表題となっている「物語とたましい」より、抜粋させていただきます。
*
たましいのはたらきは、人間の生きている上に常に関連している。
ところが、そんなものはない、と強く断定したため、困った状況に陥った人が、
私のところに相談に来ることが多いのではなかろうか。
そこで、私はその人と共に、
たましいの働きを認められるようになるのを待つ仕事をしている、と言えそうである。
たましいのことについて他人に伝えるのに「ものがたる」ことが一番適切であるように思う。
私が子供の頃、西洋の物語に心奪われたのは、
「たましい」というもののとらえ難い感じが、
自分にはどうしても手の届かないこととして語られていることに、
よく呼応していたからだと思う。
もちろん、子供の頃は、
ここに述べた意味における「たましい」のことなど意識するはずもなかった。
しかし、子供の頃からずうっと意識している「死」の問題として、
それは私の心のなかに位置づけられていたのだろう。
己の死をどう受け止めるか、ということは私にとって常に大きい問題であった。
私は「死」の問題を通して、ずうっとたましいのことを考え続けてきたことになる。
私があまりにも人間の生き死にや生活の具体的なことに対する関心が強すぎたので、
こんな道を歩むことになった。
そして、心理療法の経験を積むにつれて、日常茶飯事についても、
たましいが関連していることがだんだんと実感されるようになった。
遠いヨーロッパの物語のみならず、
日本の日々の生活のなかに「たましい」が関連する物語が
たくさん生み出されていることが、わかってきたのである。 (2003年74歳)
「物語とたましい」より

