私は子供の頃から、「人が死ぬ、というのは、どういうこと?」と、考えることがあって、

その度、「自分の心が無になる」ということがイメージできなくて、悶々とした。

 

ネガティブ思考で暗い性格ということと、

そんなことを考えるヒマがないくらい没頭できるモノがなかった、というせいもある。

 

この本を読んで、私の疑問に対する答えが得られたわけじゃないけど、

「死を論じることは悪いことではない」、という佐伯氏の考えに共感しました。

 

 

佐伯啓思氏著 「死と生」

 

 

佐伯氏は、

「本書は私なりの死生観の試みです。

結論などというものはでるはずもありません。

このように考えてみた、というだけのことです。」

と言いつつも、トルストイや仏教の考え方を例に論じています。

 

考えても決してわからないものについては考えない。

死ねばすべてが終わりで死後には何もない。

と述べながら、死について考える機会は必要だとも。

 

最後の部分より、抜粋させていただきます。

 

 

             ***

 

 

ー日本人にとっての「死」ー より

 

 

世俗の現実にあって、我々は覚ることなどできません。

 

生も死もないなどと、とても思えません。

 

善悪や欲望から逃れられません。

 

しかし、それでも、永遠の無や空といったものへの眼差しを向けることはできるでしょう。

 

そのとき、絶対的なものとは、どこか超越世界にあるのではなく、

われわれの心の奥底にあるというべきではないでしょうか。

 

「生も死も無意味だ」から出発して、その「無意味さ」こそが、自我への執着を否定したうえで、

現実世界をそのまま自然に受け止めることを可能にするのです。

 

不生不死とは、生まれたものは死に、次のものがまた生まれるという植物的で循環的な

死生観を言い換えたものといってもよいでしょう。

 

生も死も自然のなかにある。

 

そこにおのずと生命が循環する、ということです。

 

この自然の働きに任せるのです。

 

とすれば、われわれは特に霊魂はあるのかないのか、あるいは来世はあるのかどうか、

などということに悩まされる必要はない。

 

確かに、生も死もどちらでもよい、などと達観することはできません。

 

しかし、この達観に接近しようとしたのが日本的な死生観のひとつの大きな特徴だったので

あり、それは現代の我々にも決して無縁ではないのでしょう。

 

 

 

ーあとがきー より

 

死を論じることは、実は生を論じることにもなるのです。

 

「死」と「生」は対の問題です。

 

にもかかわらず、往々にして、「死」は、ただ「生」の切断であり、

「生」を終わらせるものだ、と考えられがちです。

 

そうではなく、「死」、正確には「死への意識」が「生」を支え充実させることもあるのです。

 

 

                                              🍀「死と生」より