香山リカさんと3人の哲学者との対談集です。

 

*入不二基義氏・・・哲学では思考への極北へと進もうとするけど、

レスリングでは身体の極南へと進もうとしていて、正反対だけれども似てもいる。

 

*永井均氏・・・社会主義の理念が力を失ったのは大きい。

あれの存在は資本主義を健全に保つのにずいぶん貢献してましたから。

ダメージが大きいです。

酷い状態になっていると思うんです。

 

*中島義道氏・・・なにしろ世界は理不尽だと思っているとすると、道は二つしかない。

一つはその理不尽な世界の中で救われる道を選ぶということ。

・・・もう一つは全力で壊すということ。

つまり、つくるのではなくて、まず壊す。

 

 

香山さんと中島氏との対談で、中島氏が <「何もない」ということを自覚する> と

おっしゃってます。

 

どういうことなのか気になりつつも、理解するのが難しいです。

 

私は「般若心経」が浮かんできて、その教えに似ているような気がします。

(全く違うかもしれませんが汗

 

対談から少し抜粋させていただきます。

 

 

      *~*~*~*~*~*~*~*~

 

 

ー死の意味を抜くー より

 

 

中島 

「世界も、ものも、もともとあるのではなくて、必ず自分が参加しているわけです。

 

すでに世界があって、そのことにいかにも拘束されているように見える。

 

なぜかといえば、「過去」ができてしまって、そこからすべてを見てしまうから。

 

過去を基準として、私たちは世界を見ている。

 

しかし、何が起こっても不思議はないのが現在ですね。

 

刺されるときも現在だし、死にかけるのも現在。

 

でもそれ、「何もない」ということと同じなんです。

 

だって、未来と過去に囲まれる現在なんだから。

 

普通の意味における固いもの、揺るがないものは何もない。

 

「何もない」ということを自覚して死ねたら、理想ですね。

 

何もなければ、もうそれ以上、死にませんから。」

 

 

香山

 「『何もない』とは『無』ではなくて、『不在』ということ?」

 

 

中島

 「そこはわかりません。 ただ、『何もない』ということがある、と。」

 

 

香山 

「次のステップで『無』へ?」

 

 

中島 

「何かを期待して、あの世だとかをポジティブに考えるのではなくて、

まず世界を消すことに専念するというと、何かがポッと出てくる感じはします。

 

『私』も実はいないのです。

 

私というのは登場してこない、客観的世界の中に。

 

私が見た光景というのは何も組み込まれていないでしょ。

 

それが死ぬんだから、もともと何もないものが死ぬだけなんです。

 

不思議なのは、そういうことをどんなに言っても、

ほとんどの人はそう思ってはいないということです。 

 

これはいったい何なのだろう?」

 

 

香山

 「そう思ったら生きていけないから、そう思わないようにしないといけない・・・。」

 

 

 

                 🍀「明るい哲学の練習 最後に支えてくれるものへ」 より