土曜日の朝は兄の習い事のスポーツへ行くのが楽しみな我が家。

とはいえ、ぴーちゃんは1人で留守番すると冷蔵庫をあさるので、道連れで、アイパッドを持ち連れて行かれることに不服。

今日は、遅刻ギリギリで、急いで行くと、ぴーちゃんに、気がついた方が、あっ!◯◯くん、ちーちゃんいるよ!と声をかけてくれた。

えっと、ちーちゃんて?もしかして、幼稚園の同級生?と思い、保護者もあまり合わないから顔なんて覚えてないし、私がADHDだから、何がすごい特徴ないと顔が覚えられない。金髪とか。いつも縦ロール巻にしているとか。


すみません、失礼ですが、誰ですか?と聞くとやはり、前の幼稚園の同級生のお母さんで、今日から入りましたと。


会いたい親友に会えて嬉しいぴーちゃん。


しかし、幼稚園に行けない複雑な気持ちで、引き裂かれた友達関係を、久しぶりに会えた嬉しい気持ちと、幼稚園に戻れないぴーちゃんの気持ちは大丈夫かな?


と私は少し不安になりましたが、ぴーちゃんはそんな複雑なひねくれた考えはなく。


ただただ、嬉しかったと、びっくりしたとのこと。


子供は、すごく純粋だなと、私はいろんな人に恐怖心があり、トラウマがあるから、ハラハラしてしまうけど、私も昔幼少期はぴーちゃんみたいに、純粋に生きていたんだよなーと思い出した。

ぴーちゃんの、健気な素直な発達凸凹をこのまま大事にしてあげたい。


12月に幼稚園からなかば辞めるように促され、奥歯を噛み悔しい気持ちで辞めることになり、引き裂かれた友達、悲しい思いを5歳でしなければならず、理不尽な幼稚園に腹が立つ。


私は、発達障害があっても差別してほしくなかった。ちゃんとこちらの気持ちや状況も話も聞いてほしかったし、こちらの家庭状況や本人の特性をちゃんと聞いてから相手の判断がほしかったのだと、しっかりした対応をしてほしかったのだと、今も感じる。


だからこそ、1月から児童発達支援センターみゆきに移れて、丁寧に子供も親も気持ちを聞いてくださり、それから相手が対応してくれて発達には帰って良かったと思っている。 


ぴーちゃんは、幼稚園にもどりたいのだが、もう戻れないと話をした。

わんわんと涙が溢れて泣いていた。母は、苦しいが、人生はそういうこともあり、それからのなおるのをどうしていくかが、大事なんだと思う。


母がいつかは死ぬのだから、陰も陽も感謝して、必然だと1度は受け入れて、それをこれからはどう捉えて、どう進化するかは人間力だと思う。


あえて、厳しくしようとはおもわはい。今はまだ甘えていたいぴーちゃんだし、今しか甘えられない時期だから、私もぴーちゃんなりの5歳を満喫する。


必要なだけの、ぴーちゃんへの介助だけで、やれることは時間かかるけどやってもらい、できるだけ解決を自分で一歩づつ出来ていけたらいいなと思う。


経験値から成長できる。

ぴーちゃんにより、我が身の生い立ちの体験も蘇る日々。ありがとう、ぴーちゃん、私のインナーチャイルドも癒やされるよ。


ぴーちゃんの大好きなお友達のちーちゃん、スポーツはじめたから、毎週土曜日は会える。

一緒に遊んでもらいたいな。

お母さんに、これからも宜しければ、一緒に遊んでくださいと言ってきました。