知能検査の結果、来週になる。診断名がきになる。

なんだろうが、大なり小なり障害があることは確かで、凸凹があるのだ。


それかわかり、私の目の前の世界の見え方がかわった。モノクロになった。

再婚とか再婚しなくとも事実上のパートナーがほしいとか、ママ友ほしいとか、英語の練習してむっちゃんの同級生のフランス人の親と話せるようになりたいとか、理学療法士として大谷翔平選手のリハビリが死ぬまでに一度してみたいとか(その夢すら甘いと鼻で笑われていたし、アホか?と周りからは呆れられた)希望がさった。


私が話すと周りが混乱する。は?何いってんの?と変な空気になる。

だから、もう人にはあまり関わらないようにしようと。悲しいけど。

私はおかしいのは、気が付かない。相手が困る。

話すなら、福祉の人や、心理療法士や、精神科医なら、気兼ねなく、変な私を理解してくれるから話せる。

さみしいものだ。そういう相手にしか安心して話せないとは。

今まで生きてきた世の中から、一歩遠慮して生きていくような感じ。


憧れの大谷翔平選手にもときめかなくなった。

ただ、死ぬまでに一度、大どんでん返しが起きないかぎり、なんの接点もないが、今終盤で疲れている大谷くんのリハビリをやりたいなーという、良くなるようにやる理学療法士の自信はあるだけ。


これから先に私は、普通には働くのはやはり困難だろう。育児を、生き甲斐にして、私は私をより理解して特性を受け入れて、その範囲で生きていく。

子供達には、いろんな経験をつませたい。子どもたちの伴走者としてしばらくは生きるのだ。


この障害者であるということが今更わかった経験も、きっとこの先、無駄ではない、辛いが、将来更に仕事に結びつくと思う。


ヒット the Bottom!は、すでに父の死で経験した。

だから、死以外は、私にはBottomではない。


まー、正直、しょんぼりしている。健常者ではないから、未来への飛躍の希望がいろあせた。

障害者が生きにくい日本。

フランスか、オランダあたりへ行きたい。

資金の問題。英語は必須。


北欧もいいけど、白夜が鬱には良くなさそうだ。


住みやすい所、落ち着く所がないかな。

同じ人として扱われる国。


障害を告白するのは苦ではない。そうして話しかけるのもできるから、理解が得られそうな相手なら話せるかも。

去る相手なら深追いしないし、今更アラフォーだから傷つかない。


お盆、県営団地にも、帰省客がちらほら。

うちは、帰省する場所はない。この家しかない。

母が死に古い実家は裏が急傾斜地で土砂災害危険区域のため買い手もつかないから、相続放棄しかなかった。県営団地に住んでると、持ち家をもてない。

母方も父方も兄弟が亡くなり、親戚つきあいも、その息子や娘世代になり薄くて付き合いがない。

帰る場所もないし、お客様もこない。

普段と変わらないのは我が家だけ。

思春期になると、子供達は、こういうのがきになるようになるのでしょうね。なんでうちは帰省場所がないの?とか。

じいじ、ばあばがいないの?とか、周りが羨ましく思えるでしょうね。


仕方ない事実で。

ただ、私みたいに窮屈に我慢して辛いのを生きるような若者人生にはしたくないと、反面教師にしたいと思う。


ここの家には障害者しかいない。三人で楽しく仲良く安心できる家にして、あんぽんたんな脳みその母ちゃんだけれど、福祉の人に助けてもらいながらなんとか子供を自立させるように、3人で生きていかなければ。