チャールズと比較(笑)


1、推しとの出会い

6000日前の今日。
祖母と私は柳瀬さんの声に魅了されました。
始まりは2008年美女と野獣 広島ロングラン
2008年2月28日(木)13:30の公演。
それまで1度、2度、劇団四季を観た祖母が中国新聞の劇団四季特集を見て。
『チケットが余ったら連れていって』
『なら、一緒に行くようにチケット取ればいいよ』
と、言ったのが始まり。
そして2月28日のチケットを取って。
観終わった祖母は『ふ~ん』って感じだった。
私は自分がチケットを取って行く初めてのロングラン。観まくっていた(笑)
何度も観るうちにじわじわそのビーストにハマっていった。
何度も観ている私に。祖母の家に5月に帰ったとき。
『ばーちゃん、やってる間にもう1回観たいんだけど間に合う?』
と、言って。
2008年6月7日(土)
確か千穐楽の前日を観に行く事にして。
終わったら祖母の目はキラキラ輝き。
『良かった、歌が良かった、面白かった』
と、満足し、感動していた。
また行こうね!と約束していた。
他の劇団四季の作品を観ても
『あの怪獣が良い!』
と、会場で絶賛していた。


2、そもそも私と祖母の仲

そもそも。私と祖母はお互い無くてはならない存在だった。
私はmikathy家の初内孫。
蝶よ花よと可愛がられていた。
そこへ3歳の時、妹が産まれて。私のベビーベッドは無くなり、寝る場所が無くなった。
それを機に祖父母の部屋で寝るようになり、私と祖父母はますますベッタリになった。
私は祖父母が居ないと寝れなくなった。
母は妹にベッタリ。
ますます祖父母とベッタリ。
熱が出ても看病してくれるのは祖父母だった。

そんな感じで祖父母に育てられ、祖母は私に旅館を継げと料理を教えてくれた。
父が小学校3年生で自死し。
でも、実家に帰らない母。
旅館は私が継ぐことになっていた。
中学校1年生の時。祖父が亡くなった。
母は親戚から「遺産目当て」と言われ。
私が継ぐまでの力を付けさせたい祖母の指導を被害妄想から「虐めを受けた」と言い出し。
私は祖母から引き離され。母の実家に連れ去られた様になった。
祖母も広い旅館で独りぼっちになった。

もちろん祖母には「会うな」と、母方の親戚や近所の人から言われ、
「あなたは一番上なんだからお母さんを支えなさい」
と、家族への奉仕を強いられた。
母は私に無関心。
幼なじみにも会えなかった。
もちろん急な転校生は虐めを受け、独りぼっちになり。人の顔色を伺い、回りに嫌われないよう、自分を圧し殺していた。
そんな時、私の存在を認めてくれたのが地域の嫌われ者の認知症のお爺さんだった。
私は旅館も継げないと絶望していたけど。
その認知症のお爺さんみたいな人の力になりたくて。看護師になる夢を持った。

けれども孤独は続き、そんな軋轢は高校になる頃、壊れた。
看護師になりたいのに高校にも行けず不登校。
私は父の所に行きたくて。拒食症になりリストカットを繰り返していた。
そして精神科に入院し、母や親戚や近所の人からの圧力から解放され。
その時の主治医の計らいで祖母にも会えるようになった。
祖母の元で生活するようになり、孤独じゃなくなった。
祖母のお陰でやっと自分に戻れた。

そして紆余曲折を得て祖母からの援助も多大にあり、看護師をやっている自慢の孫娘になった。
広島市内に居ても月に1度は祖母の家に帰っていたし、祖母も広島市内に遊びに来ていた。


3、現在の推しと祖母と私

まっ、この『遊びに来ていた』が劇団四季に繋がってくる。(ここまで長くてごめんなさい)
広島ロングランのあと、柳瀬さんは退団され。
SNSの無い時代。
祖母と『もう観れないね』と悲しんでいたのを思い出す。

だんだんSNSが盛んになり、柳瀬さんの情報が入り始めた頃。
祖母は転倒し骨折。入院を機に認知症になった。
私も過重労働が重なり看護師に適応障害に。
SNSで舞台でご活躍されているのを知っても、祖母と共有出来なくった。
私は看護師になった時、祖母の老後は在宅で看て、看取りをしたかった。祖母の認知症、自分の適応障害もあり。広島市内のブラック病院は辞めて、祖母の住む町に帰ってきた。
でも、叔父に『祖母は私たちが看るから、おまえは出ていった人間だから』と。
距離を置くように言われた。
でも、祖母を私の働いていたデイサービスに通わせたりと接点を作ってくれたし、グループホームに入所した時は教えてくれた。
優しい叔父である。母とは犬猿の仲であるが(苦笑)

私もデイサービスで働き自信が付き、でもそこでは正社員になれなくて。
転職した。
適応障害のためなかなか良い職場が無い時、今の職場が採用してくれて。また、暖かい目で見守ってくださり、今に至るが。
偶然にも祖母の施設の関連病院だった。
そして入社してすぐ、祖母は誤嚥性肺炎で入院になった。
そしてコロナ禍。院内全面面会謝絶の時。
会えるのは私だけだった。
優しい叔父は『やっぱりmikathy meが看るんだな』と苦笑していた。
コロナ禍全面面会謝絶、遠い叔母が会えないとか叔父の思いがあり、経管栄養になった。なって3年。1度も良くなっていない。右肩下がりの健康状態。
認知症も進み、眠ることが多い祖母。
コロナ禍で配信が盛んになり。
柳瀬さんの配信がある度、面会に行きスマホから映像や歌声を届ける。
どうだろう?聴いてはいるけど。
美女と野獣の話なんて16年前で。
覚えてないかな?と感じるけど。聴いているから私と同じでやっぱり好きな声なんだろうなと思う。
でも、今も思う。祖母が柳瀬さんの歌声に感動したから、『いつか祖母と舞台を観に行こう』と言う約束が柳瀬さんをずっと応援しようと思った原動力だったと。
そしてコロナ禍で閉鎖的な環境に置かれた時のカーフイプオロのvol3の配信の時は私の心も救われた。
頑張らなきゃ、ってウィキッドの自由を求めてで改めて考えて。
今の職場でやっていこう!と思った。
wai友cavesやまーち先生を知れてもっと好きになった。
歌による柳瀬さんの縁にずっと助けられている。


4、今の夢

これだけ縁がある私と祖母と柳瀬さん。
だけど。今の私は夢がある。
長くない未来、その日が必ず来る。
96歳の祖母がなくなる日。
その日、私は職場の白衣を着て、祖母を看護師として見送りたい。
主治医の先生にも病棟の師長さんにも話せていない夢。今、一生懸命、祖母を看ていてくださるのにそれは言えない。
けれども、いよいよの時はそう言う気でいる。
私は祖母の自慢の看護師として最期を見送るつもりだ。

だから今は『すぐ帰れない東京』には行けない。
行かない。
それが私のケジメ。
そうしないときっと祖母とちゃんとお別れできない気がする。後悔する。


5、終わりに

そんな事を宣言してみる6000日目。
祖母が亡くなるのを待ってはいない。
その日が来たとき後悔したくないからって言ってみたかった。
コロナが明けて。
暁のヨナも次回の相依為命2024も行きたい。
相依為命なんて李涛さんも沼尾さんも出るから行きたい。
柳瀬さんがゲストじゃなくてもカーフイプオロも行きたい。
でも、後悔したくないから、今は行けない。