GW後半のうち2日間は、地方の百貨店の雑貨屋に併設された、紅茶ショップでお仕事でした。

試飲を出すなどの業務があって、数十人の方の接客をしたのですが、誰より印象に残ったのは「初任給で両親にプレゼント買いたいなと思って、今日は買い物に来ました」と話す、若い青年でした。

雑貨屋にディスプレイされた茶器を指さしながら「これが第1候補なんですよ!」と嬉しそうに話す姿は、眩いものがありました。


「そうだ····今って、そういう記念すべき買い物の時期でもあるんだ」

普段は食品売場ばかりにいますから、そういった買い物のお客様と遭遇することって、あまりないんですよね。

青年は数時間後、ふたたびお店へと現れて「結局別のお店でプレゼントは買いました」と報告をしてくれて、おまけに「試飲で貰った紅茶、美味しかったから。これは自分用に!」と、自分の勘で選んだ紅茶も買って行ってくれました。


生涯で一度きりの買い物に少しでも関われたこと、光栄なりません。彼のご両親が出し惜しみなく、嬉しさを表現できる人達であってほしいな。

「どんなに時代が巡ろうが、店頭でお客様を迎え続ける人は求められ続けるよね」とも、改めて思いました。


実はその青年が現れる、少し前の時間帯のこと。

あまりにも暇な現場で、手持ち無沙汰になっていたんです。雑貨屋のレジスタッフの人からも「いつもこんな調子だよ、のんびりしてくれてたら良いよ〜」と、言われるほど。

辺りに飾られている雑貨を見るのは楽しかったけど、それにも飽きてきて、ふっと前日の晩に観たYouTubeを思い出したんです。

「そうだ。運気アップを狙って、久々にありがとう言いまくりキャンペーンしちゃおう」

やり方は単純で、1人黙々と「ありがとう」を言い続けるのみ、です。


それをすることで少し先の自分が、世界と調和することを感じられたり、思いがけない幸運に見舞われたりと、経験をしてきたんです。言うなれば、幸せの仕込み作業とも言えます。

言った直後に凄いことが起きたりはせず、どうしてもタイムラグがあるみたいですが、年々、この現実化までの時間差は、狭まってきている気がします。


そうしてマスクの下で、ブツブツと「ありがとう、ありがとう」と200回ほどか唱えたあたりで、例の青年が ひょっこりと目の前にやって来たわけです。

毎度、何が訪れるのかが分からない幸福ガチャ(ただしハズレなし!)ですけど、今回は、喜ばしい初の接客経験がもたらされました。


自宅へ帰ってからも、不思議なシンクロニシティが続きました。YouTubeで偶然 “船” に関する動画を1人で観ていたら、その直後、夫が自身のグーグルのアイコンのマークを “船” の絵柄に変えていたことが発覚したり、など。


胸の内で繰り返し唱えるよりも、やっぱり音をつけて言霊にしたほうが、効力が早い気がします。

場所を選んだり、始めるための条件などなく、ただ言葉を繰り返す単純なものなのに、なかなか気は逸れるし、人の心って放っておいたら下降しがちなんだなぁと、実証のたびに感じます。

そういう自転車操業的な魔法を使わずとも、ずうっと世界と自分が調和した状態で留まれるのが、理想的だろうなぁ。


連休明け、五月病や退職代行サービスのキーワードが、チラチラ目に入ってきました。

誰かにとっては鬱々としたシーズンであることを思いだして、5月の爽やかさ、そのままを纏った彼との出会いで初夏を迎えた自分は、つくづく果報者だなぁと感じていました。


うと ありさ 🫖🌱


前回からの繋がりで、白山陶器とはまた別の箸置き。
おかめ&ひょっとこ。色使いも好き。


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