滋賀での生活も、数日が経ちました。出産時に里帰りをしなかったので、母と一緒に長らく暮らすのは、じつに8年ぶりです。


自家用車がないため、出掛けるにはバスや電車が必須で、西宮の街とはえらい違いです。そこそこ都会なはずの隣町に出掛けてみたら、スタバやサイゼリヤ、思い出のTSUTAYAまでもが姿を消していました。(西宮の近所のTSUTAYAも去年閉店したし、全国規模の流れだけど)


どうしても西宮と比較をしてしまって「何もないんだ」の想いが湧いてくるばかりでした。

蔑みではないし、誰かにとっては大切な街に違いないだろうけれど、活気が年々鎮まっていることは明らかです。


わたしは故郷の街に対して、混じり気のない、純粋な愛着を抱けているわけではありません。

なんせ物心がついた時から、反射の残存の強烈さで生き辛くてならなくて、その拗らせから、人を傷付けたこともありました。


いつくもの悔いや哀しみが、故郷の景色と紐づいていて

「もしも、この土地の景観が失われるような事態になっても、わたしは悲しまないんじゃないの?むしろ、安らぎを覚えたりするんじゃないの?」なんて、考えた時期もあったほどです。


同級生が、自分の実家のそばに家を建てたらしいと、風の便りで聞いた時にも「地元で骨を埋めるつもりなのかな····事情は知らないけど、そんな選択、わたしなら絶対に出来ない」と、強く思ったりも。

でも そんなくせして、実家には29歳まで住まわせてもらっていました。

【この土地から離れたい、過ちを無かったことにしたい。だけどかつての知人へ弁解もしたい、不可能だと分かっちゃいるけど やり直したい】軽い妄想や執着心を絡ませ合って、現実を創造していたんだと思われます。


地元の建築事務所へ勤めていた時期に、隣町の人との交際話が持ち上がったことがあるんです。

わたしの気持ち1つで まとまるものでしたが「新しい地元との結びつきが出来てしまう、それは嫌だ」の想いが勝って、その話は無かったことになりました。あちらは結婚相手を探していたので。

(とはいえ恋い焦がれた相手だったとしたら、地元がどうとかなんて問題にすらしなかった気がする。分かる)


それと同じ頃、何故だか職場で愛国心についての話題になって「わたし、そんなに国を想う気持ちがない気がする」と口にしたら、上司から

「じゃあさ、例えば滋賀の馴染みの場所がテレビに映ってたりしたら、嬉しくならへん?そういうことやん。自分に近しい土地を大切に思えるんやったら、愛国心あると思うよ」と、諭されたんです。


滋賀が映っていたら、嬉しくなる。

「日本というか····滋賀に対しても、愛郷心はちゃんと育まれていたんだ。ほかの人に比べたら歪かもしれないけど、なんだ、わたしにもあるじゃないか」と、驚きでした。

(愛国心を話題にするだなんて、先にも後にも、あの時間にしか覚えがないなぁ)


事務所には短期間しか勤められなかったけど、営業車で湖畔を走ったあの日々だって、心象世界においての、故郷へと続く道になってくれています。

湖国で知り合えた人達と、優しく関わり合ったことが、わたしへ故郷を授けてくれたのだと思います。


数日前は、娘と一緒に琵琶湖大橋をバスで横断しました。

湖畔から眺めるよりも橋の上から見る湖のほうが壮大で、滋賀に帰ってきたんだと、より感じられるんです。車窓から深い紺色の湖を覗けば、むしろこちらの心模様をギラリと鋭く、覗き返されているように思えます。


湖面には これからの未来ではなくて、過去の営みばかりが、脈々と上映され続けているように映って見えます。

「幾層もの命がここからやって来て、つかの間を楽しんで、還っていくんだ。何も無くても、琵琶湖はずうっとあるんだもんね····」

今なら湖国に統合ワークだってあったりします。

もしかすると、わたしがワークを持ち込んだのではなくて、ワークがわたしを滋賀へ連れ戻してくれたのかもしれません。

(そこまで書いて、どなたもお越しにならなかったら笑い草ですが)


うと ありさ 🚙🌈


SHEINで購入した娘の靴が届きました。品質どうかなぁ?と思いましたが、やはり可愛い。履き倒させます。

上記にあるように、ややヘンピな場所ではあります。車なら来やすいかなぁ。湖国の車社会に期待。バスも1時間に数本は出ています。