旦那さんに娘と2人きりの夜を体験してもらおう、と思い立って、単身で滋賀へ帰省してみることにしました。
実家の母ばかり相手に統合ワークも飽きてきたので、実家の近所に住む友人の母君に、ワークの練習に付き合ってはもらえないかと、友人経由で尋ねてみました。(友人自身は北陸在住)
返事はというと「用事が立て込んでいるらしいのと、原始反射の統合ってあまり興味がないみたいで。ごめん、わたしもよく分かっていない」とのことでした。
細かい説明は端折って「ざっくり言うと、ワークを受けたら元気になるんだ」と伝えたのみで、受けてくれた先々で、少しずつ理解してもらえたら良いかな〜って考えていたんですよね。足りてなさ過ぎた?
こちらにしてみたら「1回受けただけで人生が変わるかもしれない代物が、探し当てる手間等がカットされて目の前に(なんならタダで)差し出されているっていうのに!欲しくてたまらない誰かだっているのに!もったいない」と思ってもいいけど、思い上がってはいけないんだよね、とも思うのです。
友人親子の人生は、わたしが提案したものを採用しなくとも、どんどん良くなっているには違いなくて、もし傍目に見えづらかったとしても、緩やかな変化のペースを辿っているだけ。
積極的に変化をしようとするばかりが善ではないことは、わかっておきたいなと。
ただ、わたし側にも志がニョキっと立ってはいるので、ご縁が見当たった時には、統合ワークについての啓蒙は続けて行こうと思います。
“あのとき知らなかったから選べなかった”と、“あのとき知っていたけど選ばなかった”は隣り合わせだけど、まったく別層での回顧の仕方が未来で待っているだろうから。