不安からの身体的な症状を恐れ続けて


 辿り着いたこと。









それは。















それを受け入れること。

















どうにかしたい、消したいと思うことが

逆効果であるということ。






いつも私は不安ちゃんから

猛ダッシュで逃げようとしていた。




けれど、逃げようとすればするほど

不安ちゃんは私を離そうとしなかった。



「あっちは危ないんだから!ここにいて!」


と、逃げようとすればするほど

ますます強く抱き締められて

苦しくなった。




いつしか、そのやり取りしている時の
 
感覚や身体の症状が恐怖になり

それが来るのが怖くなり

なんとかコントロールしたいと

必死になっていた。




でも、それではしんどいままなのだ。




不安ちゃんを受け入れ

あなたはそこにいてもいい

とする。




不安ちゃんを恐れ

じっとしているのではなく

不安ちゃんと一緒に動く。



体の症状は

自律神経が反応して

起きているものだと知っておく。



それは、「受け入れること」で

おさまっていく。




実際
 
不安ちゃんと一緒にという感覚で

ランニングしたり

就労支援行ったりするようになってから

ラクになった。





そして

以下の本を読んで

不安に対する考え方がひっくり返って

心理学者や精神科医が出したデータにより

不安症になった自分自身への見方なども

違う角度から見られて

「それならしょうがないよね。」という

新たな受け入れも

少しずつできてきた。









当事者にしか書けない、というか

soratoさんにしか書けない凄い本だと思う。


 



soratoさんも書いているけど

この本は

症状が重い人向けであり

最終的に辿り着く場所なのだと

私も思う。






soratoさんの本の中で

おすすめされていた本も

今読んでいるけど

こちらも目からウロコ。


(50年も読み継がれている本!)





結局、不安は無くならないし

不安を感じなくなるのは

人間が生きていく上で

とても危険でもある。

(実際、脳の不安を感じる部分を
切除した人の話しもsoratoさんの本に
出てくる。)












soratoさんもそうであるように

私は、全般性不安障害が治っても

やはり不安になりがちで

人混みが苦手で

感覚過敏で

神経質という生まれつきの性質は

基本変わらないと思う。

(実際赤ちゃんの時からそうだったらしいし。)







ただ、今までの自分と違うのは

そういう自分と戦わず   

直そうとせず

それを受け入れながら

生きていくことが出来るように

なる気がする。







そして、それが私が長年

いちばん望んでいたことのようにも思うのだ。





Arisa