自分の中ではとても気に入っていて、コレ好きだなぁーと思って作っていたアクセサリーがあって。
☆Ariのアクセサリーを昔からよく知って下さっている人ならわかると思うのですが、私のアクセサリーって本当にカメレオンアクセサリーでして。
基本的にはカラフルで個性的という王道はあるのだけれども
可愛らしいイメージも作るし
カッコいいイメージも作るし
割と、どんなテーマでも作れちゃったりします。
そもそもそれがクレイの良いところだと思っているし。
どのアクセサリーも私の内側にある、自分の中身から湧き出る物を表現している私らしい作品だと思っています。
でもある時
「最近の作品はありささんっぽくないよね?」
って言われたことがあって、私は結構頭の中にハテナ??がいっぱいにはなったのを覚えております。
だいぶ昔だけどね。
私らしい。。。を判断できるのは
私自身しかないのではないかな?
だけど、他の人から見た「私らしい作品」ではなないってどうゆう事かしら?って。
不快感があった訳でもなく、ものすごーく知覚外の事を言われたこと感覚で。
えっ?他人から私らしいとかを判断するってどうやってやれるもんなんだろう?
そうか!!
私らしいって事自体人によって違うんだなぁ?と深く感じた瞬間だったと言うか。
例えば外見の話で言うと
ある人は「自分らしい」と言えば、日本人なら毛染めせず黒髪でメイクもなるべくナチュラルで、本来の姿をありのままに美しく見せられる事だ!と言うでしょうし
ある人は「自分らしい」と言えば、中身に溢れるアーティストな部分を髪の毛や身体にまで彫り込んで外に向かって表現する事だと言うと思うのです。
私の価値観はかなり後者に寄っていて
例えば外見の話で言うなら生まれたままの自分は私らしいというか、ただ身体という入れもんみたいなものがその状態で生まれてきただけであって
内側の心とか肌とか目とか耳とかで感じたモノがたくさん生まれて構成され、そんな私本来の姿は、視覚に寄って改めて表現出来るものだと思っています。
だから、本当なら母親である立場とか、日本での生活の行きやすさを全部取り払って、私らしいを表現するなら、髪型とかメイクとかもっと自由にして見たいです。
それが叶って始めて全ての私らしさを解放できていると思えるし、自分が作り出しているものは例えどんな物であっても私らしい作品だと思っています。
だけれども、その判断すら周りの人によって違う事もあるのねぇ。。という世界を知りましたけど。
そうゆう意味で私は本当にどんな物事においても何かを表現していたい人間なのだな?と思った話。
来週のクレイアクセサリー教室ですが、始めて参加の方がたくさんいらっしゃっていて♡
またまた県外の三重県からもお越しくださる事になってます。
自分の内側を自分らしく表現出来るアクセサリーが作れますよ♡
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