娘から4年半経って、初めて聞いた話しがある。
同居していた義父が84歳で亡くなる一年ほど前に、娘と息子の前で玄関でころんで出血した。
スネでまぁまぁの出血だった。
義父は足元がおぼつかなくなっていたから転ぶのは致し方ないことだった。
私たち親は不在だった。
娘は出血具合を見て、
「おじいちゃん、救急車呼ぼうよ」と言ったという。
「その時生まれて初めておじいちゃんに怒られたんだよ。」と私に言った。
義父は足が弱ってころんだことに情けない思いをしていたことと、このくらい大丈夫だという強がる思いで、断固として救急車を避けたかったようだ。
前者が大きかったのだろう。
いつも穏やかな優しい義父が、つい我を忘れ、強い言葉になったのは、仕方がないことだ。
義父は80歳超えても、母校大学のアイススケートの後輩の面倒を見に行き、自分もスケート靴はいて滑っていたんだから。
その時の弱った自分を受け入れがたかったのは当然だ。
嫁の私も義父に怒られたことはない。
ジェントルマンの義父だ。
弱ったことへの義父の悲しさが見えた。
続きがある。
娘は怒られたことにショックをうけていたのではない。
娘は、「あの時、無理矢理にでも私が救急車を呼んでいたら、おじいちゃんは死なないで済んだのではないかと思ってて」と
義父は出血の1年後、肝臓癌、腎不全で亡くなった。
その数年前に大腸癌になっていたから大きな病院にかかっていた。
腎臓は子どもの頃から弱かった。
それでも肝臓癌は発見されなかったのだ。
相当悪くなって入院する際、過去の画像検査を振り返って見たら、コレがそうだったのかと診断できるほど見えづらい大きく淡い色の癌だった。
医者に説明を受け、夫と一緒に私も見た。
私も医療者だ。
癌のサイズが大きすぎた。
肝臓実質が見えないほど大きいと発見しづらいのだ。
それは納得は行かないが今回はそこではない。
娘は、長いこと後悔していたんだ
それを初めて聞いた。
4年半経った今に。
「その時病院に行っていてもケガだから詳しい検査はしなかっただろうし、検査して見つかったとしてももう無理だった時期だよ」と私は慌てて言う。
娘は、「そうだよね。。。そうだとは思うんだけど。。。」
と自分をなぐさめるように言う。
でも悲しげな表情は変わらない
娘にも素敵なおじいちゃんだった。
そうか。娘は悔いていたのだ。
そのことを初めて聞いて、私は喉が苦しくなった。
人は一つの出来事で、十人十色の感情を持つ。
その全てを共有することは家族でも無理で。
時間も必要で。
言えるにはぴったりくる空気感が必要で。。。
言ってくれてありがとう。
少しでも娘が癒されていたらいい。