義父はコロナ大騒ぎの直前亡くなった。
日本でコロナはわずかに発生していたが、まだ我が住む街では病院のお見舞い禁止まではいってなかった。
同居して19年。
義父から一度も怒られたことはない。
嫌味も言われたことない。
次男である夫の嫁の私が出来過ぎだから?と思うでしょ。
いやいや違う。
誰が夫の嫁でも同じだったろう。
ジェントルマンの義父なのだ。
義父は大学時代にアイスホッケーをやっており、晩年はOBとして母校の監督やお世話係をかって出ていた。
しかし、亡くなる数年前(80歳)、アイスホッケー中に転び骨折してからは、積極的に活動出来なくなった。
大学の友達や先輩と仲良しで、旅行も頻繁だったが行けなくなった。
そんな日が1年も続いたあと、ご飯の時、
「つまらない。。。動けないってつまらないんだよ。」
私は、この義父のつぶやきを聞き逃さなかった。
愚痴なんて言うことがない義父が言った言葉は重かった。
共稼ぎで毎日アタフタしていた私だったが、この言葉は逃せなかった。
慌てた。
「お義父さん、何がしたいですか。」
「んー、どこか旅行行きたいかな。」
「じゃあ、みんなで行きましょう。温泉?どこがいいかな」
「鳥取のお墓を見に行きたい。。。」
私はすぐに不仲だったが夫に伝えた。
夫はすぐに地方に住む長男である兄に伝えた。
私たち夫婦、義兄夫婦、お義父さん。
この5人でお墓参りと、美味しいものを食べる旅に出た。
義父は車椅子だった。
足は浮腫んで、靴が入らず、購入した。
体調は今一つではあるものの、旅行中は大好きなお酒を飲み、本当に楽しそうにしていた義父。
鳥取ののどぐろ、白イカなど海の幸を堪能した。
義父は義兄夫婦と別れる空港で、楽しかったと泣いた。
来年もまたみんなで旅行しよう!
と約束した。
それは実現しなかった。。。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240710/00/arinomama888/2c/42/j/o1080108015461345587.jpg?caw=800)
なぜなら旅行からわずか半年、義父は亡くなったから。
まさか最後の旅行になるとは誰も思いはしなかった。
その後、癌が見つかり、2ヶ月半入院。
あっという間だった。
お見舞いが禁じられる直前の時期。
亡くなったのは今でも悲しいけれど、お見舞いに行けていたことは本当に良かったと思っている。
まさか自分がお参りしたお墓に、1年未満で入ることになるなんて義父は思いもしなかっただろう、と書きながら、もしかしたら、覚悟があったのかもしれないとも思った。
だから旅行にお墓を選んだのだ。
わたしの近年、もしかしたら人生最大の功績は、コレかもしれない。
義父の「つまらない。。。」
を聞き逃さなかったこと。
義父は夫には弱音を吐かない。
男同士ってそんなものなの?
皆に感謝された。
何より自分が自分を褒める。
そりゃ、もっと早く気づけば良かったけれど。。。
夫婦仲は悪いし、いっぱいいっぱいだった。
今でも会いたいお義父さん。
本当にジェントルマンだった。