今朝、いつもより1時間早く電車に乗った。
沿線に学校が多く、制服を着た小学生が多く通学する時間帯だ。
混んでいる車内。
その中で私の前に何やら小さいな声で話す姉弟の2人に目が止まる。
姉3-4年生。弟1年生くらい。
電車に乗って毎日通学する姉弟だろう。
同じ制服、同じ帽子をかぶっている。
きっとご両親は、弟を心配している。
お姉ちゃんが頼りと、表情に言葉にしていることだろう。
甘えん坊を表現できる弟。
しっかり者をよそおう姉。
私はお姉ちゃんを見ていて涙が出てきた。
私じゃないか。
親からの期待を時には嬉しく誇らしく。。。
でも喜びは一瞬で。
大抵は要らぬ責任感を我が身に身につけ、ひとり苦しむ。
私がしっかりしなきゃ。
私だって甘えたいのに。
でも、誰かが先に甘えるのなら、もう自分の甘えの気持ちは引っ込めるしかない。
下の妹弟がいれば、下の子が先に甘えるから、甘えるチャンスは少ない。
下の子って、愛されなれている。
どうしてこんなにも甘え上手なん。
悔しいけど私は甘えベタ。
下の子を無条件に受け入れる両親が目の前にいる。
長女としては甘えたい思いがあっても、目の前に甘える子がいなくても、甘えるまでに時間がいるのだ。
甘えたい感情が湧いてから甘えるまでに勇気が必要。時間がかかる。
かなーり躊躇するから。
甘えていいのかな。私なんかが甘えていいのかな。
甘えて拒否られたらどうする。
甘えてお姉ちゃんらしくしなさいと言われたら辛すぎる。
もじもじしているうちに下の子に先越されるか、機を失うかだ。
それの繰り返しの長女は、甘えベタを少しづつ強化する。
今朝の姉弟。
弟がぐずるのをなだめながらも、降りる駅間違わないようにチラチラ停車駅を確認するお姉ちゃん。
電車の揺れに合わせて揺れる弟を気遣う。
私だって月曜朝から学校行くのなんとなく嫌なのに、しっかりしなきゃ、と自分を鼓舞する表情。
自分をいたわる隙がない。
自分の感情を抑えて姉の役目をこなす。
私だってだだこねたい、学校休みたい、行きたくないと思うのに、弟が先にそれを表現する。
。。。ように見えた。
勝手に泣けた。
出勤前にひと泣きした。
こうやって、私は自分を作ったんだ。
世の中の長女長男は少なからずこの手の苦しみを味わっている。
そして、甘えられなかった、自分の感情を大切にできなかった、その未完了が今も自分を苦しめる。
ありのままの自分でいられない。
ありのままの自分をおさえて頑張ると褒めてもらえた。頼ってもらえた。
甘えたい気持ちを我慢することには、メリットもデメリットもあったのだ。
甘えないことを選択してきた。自分が選択したことなんだ。
自分がされたそのまま子を育ててしまった私。
自分がしてほしかったように育てることが出来たはず。。。
いや、それがわかったのはつい最近のことだ。
自分がどうしてもらいたかったかなんてことに向き合うことから逃げていたから。