小学生のころから、母親に「お前は〇〇高校に行くんだよ」と囁かれ続けた。

 

学区越えのその高校に入学すると家を離れ、賄い付きの下宿生活となる。

15歳で家を出ることになる。

 

自宅から高校は、距離にして55㎞程度だが、田舎は列車本数が極端に少ない。

大雪だと列車が運休する。

 

父は家を離れて下宿することには反対だった。

 

入学前に車で高校に連れて行ってくれた時、私がたまたま車に酔って吐いた。

それを見て、毎朝こんな思いをされられないと、下宿を承諾してくれた。

 

私は、母親に甘えたくても甘えられなかった思いがある。

それなのに、15歳で家を離れた。

 

そのことは、その後の私の人生に大きな影を残した。

いや、影を選択したのは私だ。

 

私の人生にとって、これは大きな経験だった。

 

わが家は問屋さんなど、仕事関係者の出入りが多い自営業だった。

周囲の人に可愛がってもらった。甘やかされた。

 

金銭的にも、他人からお小遣いやお年玉などもらう恵まれた環境だった。

 

それが一転、高校からは環境が変わる。

 

両親は傍にいない。

 

下宿のおばさんに下宿代を毎月支払うのは私だ。

なぜか銀行振り込みではなかった。

 

私によくしてくれるおばさんに、金銭を渡す。

仲良くしたい人に金銭を渡す。

それは私にとって異常に嫌悪することだった。

 

金銭を支払うことで、その人との間に距離を感じる。

仲良くしたい人に金銭を支払うことに嫌悪感を抱く私が、その時形成された。


金銭の介在で、距離を保たねばならないよ、と言われている気がしたのだ。

親しい人からお金をいただくことにも抵抗を感じる私が、その時形成された。

 

15歳まで周囲の人に甘やかされて育った。

それが当たり前だった私には、世間は冷たく映った。

 

その時の私にはそれが受け止め切れなかった。