私が自分大嫌いだった頃、
自分の望みが叶ったことなどなかったに等しかったと思います。
唯一強く願い続けていた望みは、しっかりした人になりたいでした。
結局しっかりした人という望みに具体性がなかったなと思うのですが、
しっかりした人になりたいと思えば思うほど、ダメな自分の姿ばかりが目に付いて、
ダメ出しばかりしていました。
振り返って思うことは、
自分自身を嫌っていたことで、自分自身と繋がりがもてなかったことが望みが叶わない原因だったのでは?という事です。
嫌いな部分を受け入れられていればいい(自己受容)のですが、
否定して嫌がっていると自分自身と繋がれないと感じるからです。
私が自分をありのままに受け入れられるようになってから始めた、朝の体操。
体を動かすこと(筋トレ)が大嫌いで汗をかくことも嫌いだったのに、継続しているのです。
大嫌いな事なのにもかかわらず!
何事も自分で決めたことはほぼ三日坊主で終わるのに、、、
ありのままの自分自身を受け入れることが土台となって根が張っていけるのかもしれません。
”土台をしっかりさせ、基礎を作る”この建築用語が人に例えられて度々耳にするものの
具体的にどういうことなのか分かりませんでした。
今も正しい解釈は分かりませんが、私なりにそういうことも一部あるかなと思ったのでした。