自分にダメ出ししていた頃は、仕事が終わってもダメ出しばっかりしていました。
注意されたり、怒られたりしていなくても、自分でダメな箇所を見つけてダメ出ししてしまうのです。
今、仕事から離れた生活をして思うことは、
自分が安定していられる範囲で日常を過ごせばいいということ。
自分にダメ出し時代は、もっと頑張って皆に追いつかなきゃとか、このままではダメだもっと頑張らなきゃ
という意識しかなくて、相当自分に無理をしていました。
渦中にいる時(ダメ出し時代)には無理をしている意識はなく、ダメな自分には当然のことでしたし、誰でも一人前になるまではそういうものだからと思っていました。
ありのままの自分を受け入れられていませんでしたから、
もっともっとと恐怖心に煽られながら頑張っていたのです。
ところが、ありのままの自分を受け入れられるようになったら、
心が安定した生活を送ることに許可を出せるようになり、
私はこんなにも何も起こらない日常生活が性に合っていたんだなと感じるのです。
いや、本当は最初から分かっていたのです。
でも、認めたくなかったのです。
起伏の激しい山あり谷ありの生き方に強い憧れがあったのです。
ところがどっこい、やはり合わないものは合わないのです。
起伏の激しい生き方に心はついていかれなかったのです。
心が安定した生活を送る中で色々な経験を重ねるうちに、心にも耐えうるだけの免疫がついてくる過程があるのではないでしょうか?
私の幼い頃は心が不安定な状況が多かったことと、自分嫌いがあったため、
大げさかもですが、今になって初めて心が安定した生活を送れるようになれた感があります。
特別何も起こらない日常の中での、ゆるい起伏の中で生きていく事が、私の性には合っているとつくづく実感しているのでした。
明るく楽しく派手に振る舞うこを良しとしていた頃、友達と散々騒いで楽しんで家に帰ると一気に気分が落ち込んでいました。この落差は何なのだろう?と不思議でしかたなかったのですが、今なら分かります。