自分嫌いの脱却には長い道のりがありました。
その道のりをこんな感じで表してみました。
自分を好きになるなんて絶っっっ対に無理(怒り)だと思っていました。
絶対無理、絶っ対に無理、絶っっ対に無理(怒り)
自分を好きになるなんて絶対になれるはずないと思っていました。
自分の機嫌が良い時は「好きになれる」と肯定的です。
なれるはずない、なれないを経て
自分の機嫌が良い時はなれるかもしれないと思え、
落ち込むたびにやっぱりなれないじゃん(怒)、
を繰り返し、
でもなれるかもしれない、なれるわけない、いやなれる、なれる、なってやる
仕舞いには意地が出てきて、
自分を好きになれてる私がいる!と思えることが増えてきた!!
その後も「やっぱりなれてない」と落ち込みを繰り返しながら
なれてきたかも、いやダメだ、やっぱりなれてきた、なれてきてるよね、なれてきた~♪
あれだけ嫌っていた自分の激しい怒りが起こらなくなり、
ダメだダメだと否定していた苦しさが消えていることで
ありのままの自分を受け入れられていることを実感したのです。
なれた~♪
結果的には嫌いではなくなったものの、大好きなわけでもないので気分的には高揚感に満たされたわけではありません。
自分大好きになったあかつきには毎日が高揚感で満たされるようになるんだろうと思っていたのです!!!
夢の世界に行けたわけでもなく、怒りも気分の落ち込みもがっかりすることもある日常です。
自分大嫌いだった私から抜け出して感じることは、
自分のことが嫌いだと自分自身と繋がれないということです。
本当の意味で自分自身の味方になれないので幸せを感じずらいように思います。
これはとても損をした生き方に繋がると感じています。
損をしても無駄に生きたという意味ではありませんので。