社会生活が長続きしない私は、
(時が経つほど居心地が悪くなってしまい居場所が作れないのです。そうして、不安な気持ちになっていき、だんだんと仕事に行くのが辛くなるのです。そこを毎回乗り越えられず辞めていく感じなのです。)

一人でマイペースに出来ることを仕事にしようと、
ハンドメイドをネット販売して生計を立てようと思いました。

その頃趣味でバックを作ったりアクセサリーを作ったりしていたのです。

ところがです!
作っている最中、辛い!
そんなものでしょうか⁉
完成した時の喜びと満足感は得られるものの、
途中経過が辛すぎて、これが毎日続くのかと思うと

”もし売れっ子作家になったら体がもたない”
とまだ一つも売れてないのに頭は売れる前提で先走った予測をして困ってしまいました。

そうして頭でっかちな私は手を動かすことよりも頭を働かせ、

ハンドメイドが好きな人は、作ってる過程そのものを楽しめているように見えるけど?

私は、デザインを考えてる時は楽しいと思うけど作っているときは楽しいと思えない。息が詰まる感じ、、、

ハンドメイドをする人は作ることに熱中し、その作る経過が楽しいからこそ多くの物を作り出すことが出来るんじゃないのかな?

手は止まったまま頭だけは働いています。

なぜ楽しめないのだろう?
どうしたら楽しいと感じられるのだろう?

待てよ、
そもそも私には、途中経過を楽しむ感覚が備わっていないようだ。

料理もそうだ。毎日のことながら、作っているときに楽しいと感じられることは
ほぼない。
食べて美味しかった時は嬉しいけれど。

さらには、
日常生活を楽しめていない、、、

毎日毎日のことなのに、生活を楽しめないのです。

楽しむって何~⁇

どうやら私は日常というものをおろそかにして生きていたのか⁉


幼いころの私は母がしっかりしていたため、料理はおろか、掃除もほぼしなく、布団すら敷いたことがなかった。
何不自由なく、なんとなくボーッと生きてきてしまった。

小学校2年生位まで、私は極度の怖がりで外の世界が漠然と怖くて(理由は分かりません)家族で遊園地に行っても楽しいとは思えなかったのです。
 そして、物心ついた時には自分自身の存在が不安で自信がなくて、心の中でお母さん、私のこと信じてと思っていました。不思議なことにそれを口に出しては言えないのでした。

日常をおろそかにするってことは”生きる筋力”がつかないってことなんじゃないか?と思ったのです。

だから
社会生活が苦しい!!
お金をもらって働くことの責任が重い。

”生きる筋力”をつけることが自分の土台になるんだと今更ながらに腑に落ちたのでした。