このブログは自分自身を知りたいと思う方に読んで頂きたいと思って書いています。
自分のことが大嫌いで自己肯定感が持てず自信のない人生を歩んできた私の変化の記録を書いています。
こんにちは、心に関係した仕事をして社会復帰をしたいと思っている岡田久恵です。
今回は、年末に手放したいことを書かせてもらいます。
そして、なりたかったことを来年に向けて叶えていこうと思い立ちました。
私がなりたかった事、それを口にすることがなぜかとても恥ずかしいのですが
とっても単純なことでした。
それは、お嫁さん(最も恥ずかしい言い方)です。
振り返ると、幼い頃から思っていたんだろうなと思うのですが、
その時分から恥ずかしいと感じていたような気がします。
松田聖子さんの曲をカラオケで歌えないことと同じな気がします。
聖子さんの歌詞、歌いたいけれど恥ずかしくて歌えないのです。
でも瑠璃色の地球は歌えます。
ここからは年内の内に手放したいことです。
今までの人生の振り返りになります。
以前にも書いたのですが、私には3つ年下の妹がいて、妹の存在感に圧倒された私は
”妹が正しくて私は間違ってる存在”
そんな風に認識してしまい自分を否定し大嫌いになり、
その意識が被害者意識を生み出し、どんどん自分を不幸にしていきました。
結婚観について、
小学校の中学年あたりから、両親の不仲と母の日常のつまらなそうに見えた過ごし方を目にし、
私はあんな風になりたくないと強く思うようになります。母は専業主婦だったため、
充実した日常を過ごすにはやりがいのある仕事に就くことだ
と思うようになりました。
ところが、社会人になって
というか、まず社会人としてのつまづき、その1
社員として働くことができなかった事。
社員になれなかったわけではないのです。
社員として働くことを選択できなかったのです。
枠の中に閉じ込められて窒息してしまいそうだから。
それでも夢はありました。
中学生の頃にドラマで知った職業、インテリアコーディネーターです!!
この職業を知った時の衝撃、パッと目の前がひらけてワクワクしたものです。
当時は高等職業技術専門校にインテリアサービス科が存在し、一年間建築から設計、インテリアを学びながら、実地で
床貼りやクロス張り等を学べ、仕事の斡旋をしてくれるのです。
お金がないが口癖の私には、授業料が無料ということで見つけた、まさに渡りに船でした。
一年間みっちり学ばせてもらい、いざ仕事を探す段階になると、怖すぎて探すことができませんでした。
それでも、卒業した後、アルバイトという形で設計事務所での仕事が決まります。
こじらせその2
そこでの仕事は、言われたことをこなすだけでいっぱいいっぱいでした。
そして、一年経った時、社長から「学校で学んだほうが良い」というようなことを言われ、
首になります。その時は仕事ができないからだという意味で捉えたのですが、今は仕事が出来るできない以前の問題を指摘され、私の仕事する様子から学校で学ぶ必要を感じた発言だったかなと思うようになりました。
その後、インテリア関係の仕事を探しながら面接を受けるものの決まらず、
次はどうしようかと考えている内に、とりあえずなにか仕事に就かないと
という思いからインテリアの仕事から離れていきます。
そして、とりあえず働きながらやりがいのある仕事を見つけようと意識していくようになりました。
そこで次に見つけたワクワクした仕事が花屋でした。
自分の作った花束で人を笑顔にしたいと思ったら、未来がパ~ッと明るく輝き出したのです。
そうなったら、いても経ってもいられませんでした。
タウンページで片っ端から花屋を探し、目星をつけて電話で募集していないか聞いていったのです。
思い立ったら即行動、若気の至り
今なら分かります。
仕事に就く前に花の教室に通って学んでから仕事に就くという順序があるということに。
けれど、なんの知識もなくても雇ってくれた花屋さんがあったのです!
飛び上がるほど嬉しかった~
その花屋さんには失礼なのですが、未経験で働くことで見た目がおしゃれな花屋さんには抵抗があり、
こじんまりとした洒落っ気なしの花屋さんに決めました。
(とはいえ、花の種類は量は少ないながらも豊富でしたし、新しい花を目にする度嬉しい気持ちになったものです。
そして、人との出会いも最高でした)
未経験の私に、花束や生け込みを早いうちからさせてもらい、パートの方からは初心者の私に一から丁寧に教えて下さいました。
そんな花屋での仕事でしたがなぜか、別の花屋で経験したくなって辞めることを決めました。
私が唯一人生で後悔したことはこの花屋さんをやめたことです。
でも辞めると決めて社長に伝えた後、撤回することはしませんでした。
続きは次のブログにて