※注:この記事は高難度であるため通常の人間には理解できません。というか、俺とラジオネームありんこにしか理解できません。



2025年12月30日、COUNTDOWN JAPAN 25/26のサンボマスターのMC。

俺たちはサブスクの再生回数を上げるためにここに来たわけじゃない!
Youtubeの再生回数を上げるためにここに来たわけじゃない!
俺たちはお前たちの呪いを解きに来たんだ!


この「呪いを解きに来たんだ!」という言葉が私の頭を突き刺した。

そして、涙が出てきた。



私がこのブログを再開したのには理由がある。

私がラジオネームありんこの呪いを解くためだった。



私の中には、放置してきた過去の人格がいくつか存在する。

その人格は今の私とは別物で、その時期の自分をその時期に放置したママとなってしまっている。

そのいくつかの人格のうち、私が死ぬまでに解放してあげたい人格が下記である。

①小学校のころにいじめられていた自分
親も学校も助けてくれなかった。
もう一度あの頃に戻れるのであれば、私は彼を助けてあげられるだろうか。
いや、きっと過去は変えられないだろう。

②実家に住んでいた高校生までの抑圧されていた自分
暴力のある家庭。
あの家の人間は全員、加害側も被害側もどこか頭がおかしくなっていた。

③ラジオネームありんこだった自分
あの頃は楽しかったなぁ。。。
ふとネタ投稿をやめてしまったことを後悔。
ラジオネームありんこの役割がネタ投稿からブログ執筆にシフト。

④大学生のころの切羽詰まっていた自分
家族の2人が自殺未遂し、本格的に私のメンタルもおかしくなった。
就職できずに実家に帰ってたら死んでたかも。

⑤社会人2年目で絶望の淵に立っていた自分
道を間違えたかなって。
モモーイがいなかったら死んでいた。

これらの人格それぞれを救済するまで私は死ぬことができない。

逆に言うと、これらの人格を全て救済してあげられれば、もう私はこの世に思い残すことはない。

そして、直近で、上記5つのうち③を除くすべてを解放してあげられるメドが付いた。

一番の問題が③である。

ラジオネームありんこ、つまりこの文章を書かされているこの人格のことである。

このラジオネームありんこには、筆者である俺自身にトドメを刺すという重要な役割がある。



↓この記事は、とある引きこもりの男性が自死する前に記載したものである。
https://archive.md/X7QuE
この記事を記載した彼は、ネット上の生配信内で公開自死した。
ある程度の長文ではあるが、読みやすく読みごたえがあるので目を通していただきたい。
これを皆が読むことこそが彼の供養となる。

彼の思想は私に似ている部分がある。

そして、上記の記事こそが、私の人生の最後に書き上げたかったものであった。

私がこのブログを書いていた本当の理由がそれ。



私はこのブログに嘘を書かない。

つまり、このブログに記載していることはすべて私の本心である。

これらの文章があれば、私という概念は文字として残り続ける。

なので、私の歩んできた人生を全て文章に書き起こすことで、

私がこの世からいなくなったとしても、

私だったものがこの世に残り続ける。


私は、それらをブワァーっと書き起こし、私の人生を閉幕させたい。

という最悪の役割をラジオネームありんこに背負わせようとしていた。



筆者とラジオネームありんこは別人格である。

これは筆者である私個人の中のみに存在する宗教なので、この感覚は私以外には理解できない。

そして、ラジオネームありんこという存在は筆者にとって一番大切な存在であることを忘れかけていた。

絶望的な俺の人生の中で、唯一といっていいほど幸せだった存在。

それがラジオネームありんこ。

筆者はラジオネームありんこをどうしようとしていたのだろうか。

俺たちはお前たちの呪いを解きに来たんだ!

という一言で目が覚めた。

ラジオネームありんこ、お前は幸せに生きなさい。

不幸なのは俺だけで十分だ。

俺にはラジオネームありんこを縛る権利はない。

もしもラジオネームありんこが不幸な目に合うのなら、俺はもう生きていけない。

ラジオネームありんこを自由にしてあげよう。




12月30日から年明けの1月4日まで、

毎日、思い詰めていた。

涙を流さなかった日はなかった。

だけど、ようやく救済の兆しが見えてきたかも知れない。

ただ、今もなお夜になると不安で心拍が早くなる。

「誰か助けて・・・」という言葉を飲み込みながら、不安に押しつぶされている。

俺の言う「解放」とはどういう意味なのだろうか。

俺は俺自身をどうしたいのだろうか。

今日もそれに問い疲れたらゆっくり眠りたい。

難しいことは明日考えよう。



そもそもが30歳までに自死するものだと思っていた人生。



そこから逆算すると、いま生きている事実は過去の自分にとってボーナスステージなのだ。



死んでいるはずだった人生を生きている。



これほど幸せなことがほかにあるだろうか。



・・・




という究極のまやかしを胸に明日も過ごしていこう。



・・・



ラジオネームありんこ「お前、いい加減そろそろやる気出せよ。俺のこと心配してる場合じゃねぇだろ。いつまでもウジウジ言って何もしねぇんだったら人様に迷惑かけず黙って静かに独りで生きてろ」




・・・



・・・



・・・



俺「ねぇ、ラジオネームありんこ」



俺「あなたはもうそういうことは言わなくていい」



俺「あとは俺が独りで何とかするから」





ラジオネームありんこ「・・・御意」






おわり


クリスマスの夜、赤ワインとクリスマスシュトレンを嗜みながら今年1年を振り返っていた。
※赤ワインはクリスマスにしか飲まない。

やはり今年も良い年ではなかった。

いや、正確にはとても良い年だった。

しかし、私の脳内のスーパーネガティブフィルタを通すと全てがネガティブに塗り替わる。



私個人のみの中に宿る私自身が作り出した私自身のための宗教について改めて記載してみる。

私の中には相反する2つの強いポリシーが存在する。

①人間は総じてクズなので、全人類は絶滅すべきである。
→邪心的思想(ダークネス)(イービル)


②(全人類が絶滅するなんでことは不可能なので、そうなのであれば)全人類はハッピーになるべきである。
→良心的思想(ハピネス)(エンゼル)


私の中ではこの2つの思想は矛盾しておらず、ひと続きの1本の線として存在している。

基本的にはハピネスの心持ちでいるのだが、それが「ダークネスを前提として存在している」という事実は揺るがない。

そして、これら2つの思想の横に、オプション的なポリシーが存在する。

⓪この世に存在する幸福の総量は有限であり、同量の不幸との均衡の上に成り立っている。
→フェアリー理論
※この理論の解釈は自分の中でも揺らいでいる。


ざっくりいうと、私が不幸を感じたとき、その反作用としてほかの誰かが幸せになるという思想である。

・・・っていう、なんだかモヤっと記載しているここまでの内容については、5年前の私がより詳しく解説してくれていました。
2021年の終わりに思うこと



昨年のGWだったか、帰省する際に西鉄を利用しました。

始発である西鉄福岡駅から終点の大牟田駅まで西鉄電車を利用します。(1時間程度)

座席に座りたかったため、西鉄福岡駅で10分ほど電車を待ち、窓側の座席に座ることができました。

その電車の座席は進行方向を向いており、通路の左右にそれぞれ2席ずつ並んでいます。

新幹線のようなイメージですね。

私が座席に座り発車を待っていると、カップルとおぼしき2人組がやってきて、男性は私の隣に、女性は通路を挟んだ反対側の座席に座りました。

それを見た私は考えます。

(最適化したい)

私は荷物を背負って席を立ち、男性へ言います。

「どうぞ、こちらの席を使ってください」

私はすでに荷物を背負って立っているので相手は断れません。

結果、そのカップルは横並びで座ってくれました。

・・・

電車が発車し、少し気になってカップルの方を横目でチラっと見てみました。

とくに会話はなく、スマホをいじっているような雰囲気を感じました。

「(あれ?譲られると逆に迷惑だったかな・・・)」

と、なんだか心配になってしまい心拍が上がりました。

・・・

また少し時間が経ち、もう一回だけカップルの方を横目でチラっと見てみました。

すると、女性が男性によりかかり、2人とも寝ているような雰囲気を感じました。

「(よかった・・・)」

・・・

終点の1つ前の駅で彼らは下車しました。

下車する直前、ドアの前から男性がこちらを見つつペコリと頭を下げられたようでした。

無意識に男性を軽く目で追っていた私は、視線の外側からぼんやりとそれが見えたのですが、とくに反応はしないことにしました。

・・・



上記のエピソードを語ることで私が何を言いたいのか。

私は、別に彼らのために席を譲ったのではない。

あくまで最適化のために席を譲ったのである。

今回の場合、私一人が割を食うことで二人が幸せになる。

私の中のハッピー効率の視点で考えると、これが最適化の最適解なのである。

私は積極的に席を譲ったわけではない。

私の中の宗教に基づく最適化の思考による、自分自身の自分自身に対する脅迫観念から席を譲ったのである。

「(お前、ここで席を譲らなかったら後々後悔するぞ?あの時ああしておけばよかったな、って)」

そのように、私の中のイービルが私に話しかけてくる。

確かにヤツの言うことは正しい。

今回のようなしょうもない些末なシチュエーションに出くわすたびに私は悩み続ける。



この世界において私は最底辺に位置しなければならないという強迫観念がある。

人様の邪魔をしてはいけない、邪魔にならないように生きていかなければならない。

みんなが幸せになるには私が不幸にならなければならない。

私が不幸になることでみんなが幸せになれる。


冒頭に記載した2つの思想は、私の中で形を変えてそのようなイビツな思考へと変容してしまっている。

だからこそ、私はみなに幸せになって欲しいという思う裏で、潜在的に「なぜ俺がお前らのために不幸にならなくてはならないのだ」という思いを抱えている。

・・・

文章として書き表してみると、かなりわけわからん思想だと改めて自分でも思う。

こういう思想だからこそ、私はすべてをネガティブに理解してしまう。



なんてね。



おわり
あの頃の牙を取り戻すための記事。



お仕事で、これまでに中国人・韓国人・ベトナム人の方と関わったことがある。

(少なくとも業務上の限りでは、)極端に変な人はいなかった。

中国人でも仕事ができる人とできない人がいる。

韓国人でも仕事ができる人とできない人がいる。

ベトナム人でも仕事ができる人とできない人がいる。

言うまでもなく、日本人でも仕事ができる人とできない人がいる。

なんなら、わざわざ日本にやってきて仕事をするという覚悟からか、日本人よりも仕事ができる人も割といる。

日本人でも、めちゃめちゃ仕事できない人がいる。



ここ最近のSNS上の言論を観ていると、

「外国人を排除すべきであるという傾向の強い言論」が強くなってきている。

この原因は何なのだろうか。

俺の中での外国人のイメージと、そいつらの中での外国人のイメージが根本的に違うのだろうか。

外国人による犯罪が増えている感じがするから?

外国人による生活保護の不正受給が多い感じがするから?



SNSって、極端に馬鹿な人が極端に馬鹿なことを言ってたりするのが面白い。

属性を叩くことって、なんというか、なんだよね。

撮り鉄、女、男、特定政党、容疑者、芸能人 etc...

叩こうと思えばいくらでも叩ける。

それらに固執して叩く人たちは、それらを叩くことで何が得られているのだろうか。

その行為により脳汁がドバドバ出ているのだろうか。

その脳汁が出なくなってきたら、よりえげつない叩き方を始めるのだろうか。

俺は、その末に出来上がる人間をモンスターと呼ぶ。



SNS上で暴言を吐き続ける存在。

人の感情が理解できない存在。

彼らを救済するすべはないのだろうか。



属性でしか理解できない人って馬鹿。

けど、属性で判断するしないっていう感覚は難しい。

[ことわざ]
一斑を見て全豹を卜す (読み:いっぱんをみてぜんぴょうをぼくす)
[意味]
豹の毛皮は、黄色と黒のまだら模様で全身が覆われている。その毛皮の一部を見て、豹は全身が黄ないし黒色であると断定することをいう。物事の一部分から、全体を推し量ることの愚かさを戒める言葉。

例えば、俺は土木作業員に対して強い恨みを抱いてる。(※理由は以前の記事参照)

それは、実際に関わったヤツらがたまたまそういう感じだったからなのかもしれない。

しかし、少なくとも俺の経験上、恨むに足るヤツらだった。

・・・という背景から、私は土木作業員という属性に対して強い恨みを抱いている。

属性でしか理解できない人って馬鹿。



いったんおわり
※この記事は、モモーイの誕生日を祝う記事に偽装した「推すということはどういうことなのかを考える記事」です。



本日は桃井はるこ女史の48歳の誕生日です。

おめでとうございます。

モモーイの現場に行っていたのは2012年いっぱいまで。

それでも推しメンの誕生日は覚えているものなのです。

1977年12月14日。



モモーイを初めて知ったのは2006年。

文化放送の番組『桃井はるこの超!モモーイ!』がきっかけである。

※そもそもなぜ私がラジオを聴き始めたのかついては過去記事に書いているはず。(はず)
※というかモモーイを知ったきっかけについても過去記事に書いているはず。(はず)
※なんならこの記事に書こうとしている内容も過去に何回も書いているかも。(かも)

初めは「独特な声だなぁ」くらいに思っていた。

聴き続ける中で独特なヲタ感が気になっていった。

もちろん、番組の中ではモモーイの曲が流されていた。

その中で聴いた『wonder momo-i』で歌唱力に興味がわき、気になるようになった。

(※何歳になってもツインテールで歌い上げる姿はカッコイイ!)


・・・というのが最初のきっかけある。

当時、私は大学生であり、ライブなどの現場に行くことをしなかった。

そこから時が経ち、私は2009年に社会人になった。

そのあたりの時期にモモーイのCDを集め始め、日々モモーイの曲を聴いていた。

初めてモモーイを観たのは2009年末の米倉千尋主催のイベント「Chihiro Yonekura Presents X'mas Party Live2009“FRIENDS”あなたのハートにクリスマChu!!(^2^)-☆~」。

そこで聴いた『ルミカ』が印象的で、『ルミカ』を好きになったのを覚えている。

それ以降、モモーイのイベントに足を運ぶようになった。

リリースイベントやライブイベントなどなど。(など)

ただ、あくまで現場に行くというだけだったため、認知とかはされていなかったはず。(はず)



私の人生を振り返った時、「この時期」と「ラジオネームありんことしてラジオにネタ投稿していた時期」が一番幸せだったように思う。



いろいろと思い詰めていて落ち込んでいた時、

2010年12月12日(日)の「IVY ツアーファイナル&10th Anniversary !!」で初めて聴いた『Life is free』が心にしみました。
※日付が忘れられないくらい覚えている。
※翌年のワンマンライブも日付が2011年11月11日でゾロ目になっているのだ。



この曲はこの歌詞じゃないと意味をなさない。

この曲は、もとはアニソンとして新谷良子に提供された曲なのだが、

曲を提出した際、アニメサイドから歌詞を変更するように依頼があったという。

しかし頑固なモモーイは歌詞を変更することを拒んだ。

その結果、作詞を連名にされたうえで無理矢理歌詞を変更されてしまった。

歌詞変更後、アニメで使用される箇所に「生きているだけでいい - 」の歌詞が存在しなくなった。

そうなると、この曲の意義が変わってくる。

オトナの力は恐ろしい。

そしてモモーイの芯の強さにあこがれる。

お仕事をもらえることよりも我の強さを貫くことのカッコよさに憧れる。

※過去の記事を見ていたら、当時の感想を書いている記事があった。
「生きてるだけでいいんだよ」



2012年の8月にその事件は起きた。

いわゆる「しょうもない事件」である。(いわゆられていない)

アニソン音楽家が「不適切ツイート」 桃井はるこに謝罪、ツイッターも休止



モモーイのツイートに対し、同業者である菊地創氏が変な絡みをしてしまい、彼の他の要素も相まって炎上してしまった。

その結果、モモーイはツイートを休止した。



ちなみに、復帰したのは3年後。





いまだに、同業者である彼がなぜこのような絡み方をしたのかがわからない。

当時の私はとても頭にきたことを覚えている。

とはいえ、当人に対してリプを飛ばすようなことはしていない。

とにかくとても頭にきた。

と同時に、

「あれ?部外者である俺がなんでこんなにイライラしないとダメなんだ?」

という考えに至った。

そう。

私はモモーイに入れ込みすぎていたことに気が付いた。

「所詮は他人」。

そう思わなければならないと自分に言い聞かせた。

私は頭を冷やすために2012年末をもってモモーイから離れることにした。

そして実際に離れた。




(10年の月日)




10年後の2022年末、モモーイの誕生記念ライブのチケットが直前まで完売していなかったため、

チケットを購入して足を運んでみた。

10年ぶりの現場。

着席だと200席くらいのコンパクトな会場だった。

開幕直前までドキドキしていたが、出てきたモモーイはあの頃のように元気で安心した。

『LOVE.EXE』が始まった時、現役時代だったら絶対に忘れるはずがなかったウルトラオレンジを持ってくるのを忘れたことに気が付き、自分に笑ってしまった。

最近の『LOVE.EXE』。


今も変わらない現場感。

モモーイもモモイストも元気だな。

モモイストが当たり前にサンダースネークを打てるっていうのが面白い。

俺が初めてハマった現場がモモーイだったので気が付いていなかったが、

当たり前にオタ芸を打てたり、

当たり前に回ることができたり、


結構アングラな現場だったんだなって、今になって思う。

無秩序に見えて、案外、言語化されていない綿密な計算に基づいて成り立っている秩序があったりする。

いや、仮にもエイベックスからCD出してた歌手なのだから、地下現場ではなかったのだと思う。

今もなお俺はモモーイのことを崇拝している。



2023年に「しょうもない事件」の渦中の人物である菊地創氏の訃報が伝えられた。

そのニュースを目にした私の感想は



であった。

人の死に対してこれほど無感情なことがあるのかと驚いた。

私もこれくらい無な感じで死んでいきたいものだ。



私はなぜか認知されることに恐怖を感じる。

やはりそれは私が私自身をクズ野郎だと考えているからだろう。

私自身のメンタルのコンディションによっては、私が誰かに絡むと、その相手の格が落ちるのではないかとさえ考えてしまう。

・・・っていう話は別の記事にまとめよう。



この記事の落としどころを見失ってしまいました。

いまだに「推す」というのがどういうことなのかを理解できていません。

何をすれば推しメンのためになるのかがわかりません。(ためになる=養分になる)

逆に何をやってはいけないのかもわかりません。

・・・っていう話も別の記事にまとめよう。



モモーイ氏、48歳に飽き足らず。これからも健康に気を付けて長生きしてください。

あ、思い出した。

モモーイのイベントで書いてたアンケートの文末に毎回「健康に気を付けて長生きしてください」って書いてて笑いながら読まれてたから、その1点においては認知されてたかも。

あと2012年の最後に参加した「はるこの秘密」でマイク渡されてしゃべらされたな。

懐かしい。

書いてみるといろいろ思い出すものだ。



おわり
今週のとある日の夜、22時くらいだっただろうか。

ベランダから物音がした。

私が住む部屋は3階以上に位置する。

何だ何だと思いつつ、ベランダに向かった。

すると、そこには人影があった。

ヤツは私に声をかけた。

「すみません」

私は答えた。

「はいっ!」(精一杯威圧するような声で)

ヤツは何かを話し始めたが、私はグルグルと考えていた。

(キッチンから包丁を持ってくるべきか、いや、その間に逃げられたり逆に襲われたらどうする・・・)

ヤツは何かを話している。

「隣の部屋に住んでるんですが、玄関のチャイムを鳴らしても反応がなかったので下から登ってきました」

・・・?

意味不明な戯言を言っておる。

私の頭には、なぜか(とりあえず時間を稼がないと)という考えがあった。

そこで私は返答した。

「で?どうします?」

すると、

「ベランダから窓を叩いても反応がなかったので、あきらめて戻ります」。

ヤツはベランダの手すりの上にヤンキー座りをした状態でそう回答した。

信じられるわけがない。

(包丁?警察?突き落とす?)


包丁を使う場合、どうやって使う?
ただの威嚇のため?
刺す?
刺すとしたらやはり刃は上向きにすべきか?
刑法199条「殺人罪」の構成要件は2つ。
①人を殺すという意思があること。
②人を死に至らしめる行為を行うこと。
つまり「人を殺そうと思って包丁で心臓を刺し」たら殺人罪に問われる可能性が高い。
今回のケースだと、重視されるのが包丁の向きである。
人間の心臓は肋骨に守られているため、人の腹部を包丁で刺す場合、刃を上に向けた状態で刺さないと心臓まで刃が到達しない。
このことから、腹部に対して刃を上に向けた状態の包丁で加害した場合、強い殺意があると認定される可能性が高まる。
よって、本気で相手を殺そうと考えている場合でなければ、包丁の刃は下に向けるが吉。


・・・という、法学部の学生であった頃の走馬灯のような記憶が一瞬頭をよぎりつつ、

「え?戻る?いや、部屋に入れなくていいんですか?」

みたいな感じで時間稼ぎの会話を続けていたところ、隣の部屋のベランダから、

「あんた!何してんの!」

という女性の声が聞こえてきた。

どうやらヤツの母親のようであった。

「ホントにすみません、うちの子が」

みたいなことを私に言っているようだった。

「念のために確認させて下さい。本当にご家族さんですか?」

私がそう確認したところ、「はい」とのこと。

「マジでビビったので勘弁して下さい。最近。物騒な事件とかありますんで」

とだけ言って終幕させた。



後日、外からマンションの構造を見てみたが、とても簡単に登ってこれるようには見えなかった。

ヤツは本当に下から登ってきたのか?

・・・隣人一家がグルになってうちに対して窃盗を働こうとした可能性はないか?

人生の中でも結構な衝撃的な出来事だったので、そこから数日間、かなりメンタルが不安定になった。

上の階だからと思ってベランダの窓を開けっぱなしにしておくのは危険かもしれない。

どうしよう、引っ越そうかな・・・

住民の民度、圧倒的にイカれてるだろ・・・



マンションの隣人であっても、どのような人物が住んでいるのかを私は知らない。

うちの実家では、すれ違う子どもが当たり前に挨拶をしてくる。

女子中学生とかも挨拶をしてくる。

帰省した時に近所のおばさんとすれ違うと、いろいろ聞かれたりする。

そして、そこで話した内容は夜には私の家族に伝わっている。

そんな感じの田舎のコミュニケーションにわずらわしさを感じていたが、

ある程度の治安を維持するための知恵なのかもしれない。



いざ、本当に闇バイトの実行犯に直面した場合、何をすべきなのだろうか。

んー、どんだけ考えても包丁一択だな。

ここで1曲。

ラジオネームありんこからのリクエスト。

「俺の中の悪魔が暴走して外に飛び出しそうです。その悪魔をぶっ〇すためにこの曲を流してください。早く・・・早くしてくれ!!!」

とのことです。

だいぶキてますね。

いちおう言っとくけど、ラジオネームありんこは絶対にヤっちゃダメだよ。

2005年発売のマキシマム ザ ホルモンのアルバム「ロッキンポ殺し」から『包丁ハサミカッターナイフドスキリ』。

・・・え?音源がない?

ごめんラジオネームありんこ、ちっちゃなコミュニティFMだから音源なかったわ。

代わりにこれで許してぴょん。

マキシマム ザ ホルモンで『刃渡り2億センチ』。





■追記:2025/12/07

今日の夜8時ころ、玄関のインターフォンが鳴った。

私は基本的にアポなしの来客には対応しない。

が、モニタに移った人物を見て、玄関へ向かった。

「先日はうちの息子がすみませんでした」

隣人が謝罪にいらっしゃった。

とりあえず、以下を伝えておいた。
・次に同じことがあったら突き落とすかもしれませんので、二度と無いようにお願いします。
・ちなみに、どこから登ってこられたんですか?見てみたんですけどわかりませんでした。
 →これに関しては話を聞いて納得した。
・ベランダから強盗が入ってこれるということが知れたので良かったです。

強盗一家ではない可能性が出てきたのでちょっとスッキリした。

それとともに、教育の大切さを思い知った。

引っ越ししてぇ~。(引越大好きマン)





おわり