そして、1998年の5月2日だったので、旅立ってちょうど20年…。
33歳という若さで…。
私はギリギリ小学生の時。
このニュースは日本中を騒がせていた…。
衝撃的だった。
学校に掲示されるニュースの新聞にも載っていたのを覚えている。
当時私はGLAYのファンではあったが、
追悼ライブなどで、いくつかのバンドのメンバーが出演され、
GLAYのTERUがTELL MEやMISERYを歌ったりしていたので、
hideの歌をその時に知り、聴いた歌もあった。
インパクトあり、いい歌だと思った。
亡くなる前には、hideはhide spread beaverでいくつかの歌を出されていて、
ピンクスパイダー・ROCKET DIVEなどの楽曲があったことも知っていた。
先日、“中居正広の金スマ”、“ダウンタウンの本音ではしご酒”にYOSHIKIが出演し、
語ってくれたこと、もちろん、hideのことも語っていた。
写真はその時のものをいくつか…。
この葬儀の様子、
ファンの悲痛で苦しい叫びが伝わり、今見ても悲しくなる。
hideがいかに多くの人に影響を与え、愛されていたか…。

YOSHIKIは、自分のバンドのメンバーを二人も亡くしていること、Toshiの脱退にしても、
全てを背負っている気持ちだったこと、
改めて知った。
その抱えるものって、どれだけ大きくて、どれだけの重いものか…。
言葉では表せないものだったと思う。

私が、ここでなぜhideのことを云っているのか…。
hideに感銘を受けたからです。
それは、少し遅れてからだけど。
意外なことに、2013年の氣志團万博でした。
この年は、hideのステージがありました。
いわゆるhideのスペシャルセッション

その時は、GLAYのHISASHIも出るし…というのも大きかったのですが、
このステージを観て、hideって改めてすごいなと思った。
そのセッションのメンバーは、
綾小路 翔(Vo.G/氣志團)、
Tetsu(Dr / D'ERLANGER)、
HISASHI(G / GLAY)、
Ken.Morioka(Key / ex. SOFT BALLET)、
J(Ba/LUNA SEA)、
今井寿(G / BUCK-TICK)
でした。
みなさん、それぞれの音色とリズムが一体化していました。
翔やんがhideのあのイエローハートのギターを持ち、熱唱。
hideの声にも似てるような気もしました。
HISASHI~とか翔やん~とか叫んだりもしていましたが、
スクリーンにはいくつものhideの映像が流され、
そのうちに、hideがそこにいるような感覚になりました。
なんか惹き付けられ、感動を覚えました。
ラストのラストまで音色と歌声響き渡り、大盛況…。
その日にhideのCDを買ったんです。
これで、私はhideの歌に感銘を受けました。
何度も聴きました。
今日も久々に聴きながら書いています。
やっぱりhideって、本当にかっこいいなって感じた一枚☆
今見ても、新鮮に感じるファッション性。
リズムものれて、
あのビートの効いたギターの音色、
インパクトあるカッコいいメロディー♪
所々印象深く、感動するんです。
声もまさにロック!
音程も安定していて、
hideらしい、その曲調によって変わる、
時にふにゃっとした声、
喉を開いたようなヴィジュアル系?な声の出し方もいいんです。
一人暮らしをしていた時もよく聴いて、
カラオケでも歌ったりしていました。
Beauty & Stupidとかノリノリで好きでした。
GOOD BYE、HURRY GO ROUNDは、
最後のメッセージのような気もして、
切なくなります。
多くの音楽家やミュージシャンが影響を受けたのがなんとなくわかるような…。
ちなみに、
あの氣志團万博のステージで、
キーボードをやられていた、
Ken.Moriokaこと森岡 賢さん。
2016年に49歳という若さでお亡くなりになりました。
「Ken.Moriokaよ、安らかに」
氣志團万博2013より、
伝説のHIDE WITH SUPER BAND
「氣志團万博」初日にhideセッション でありえない奇跡実現(音楽ナタリー)

番組を観ていても、涙が出てきました。
hideさん、ありがとう。
20回目の命日となる5月2日
「hide Memorial Day 2018~献花式~」
に寄せて、作詞家・森雪之丞氏がコメント
hide没後20年、難病少女との秘話。
難病の少女と交流されていたのは知っていましたが、詳しく知りませんでした。
その少女も、11年後に旅立ち…。
hideさんにまた、天国で会えたでしょうね…。
hideさん、心が優しいんですよね。
安らかに…。
ここまでお付き合いくださり、読んでくださって、ありがとうございました。







