このブログを書いていた頃は獅子座の季節で

獅子座のテーマは「愛(を知る、学ぶ)」
だと言われている。



以前にクライアントさんの一人が
「自分(だけ)が楽しければいいという人が駄目、理解できない」

みたいな事を呟いたのを【愛】といえば思いだします。




「誰かの迷惑を考えないとか
誰かの役に立つが基本に無い行動の理解が出来ない(≒愛ではない?的な)」、

というような話だったが



もちろんその人の星座から言えばなるほどな言葉なのだが

愛は簡単に「役に立つ・立たない」、とかでもない気がするし

簡単に言うと、

その行動の基本のきのところに純粋なエネルギーがあって

目的もなく何かを夢中になって楽しんでいる姿、
輝きが【愛】だと思う。

(例えば子供や動物が無邪気に遊んで笑っている姿とか)









私はよく【自分が楽しい】のは大切なことだ、と書きます。


それは「自分が満たされて余力のある人だけが基本的に

【誰かに何か=愛を与えられる】

という基本原則

のことをいうのだが


【自分だけが楽しい、他人はどうでもよい】(→利己的なだけ)とか

【世間体も収まって、家族も収まった上での利己的な欲の追求は正しい】
(→一般的な社会的価値観内でやるならやばいこともOKとかバレなきゃなんでもOK的な心)

という理解をされたら困ります、とよく思っています。








基本的に


楽しいことで輝いている他人の姿は、
食べ物みたいに直接的に役に立つことでなくても
心にエネルギーをもらうから必要なのだが


結局その人たちの心の底に清らかなものがなければ

【純粋性】がなければ

それは【愛ではない】、という感じです。




どんなに役に立っていても、純粋な愛が無ければ使い捨てられるのではないでしょうか。



長くなるのでまた次回に。ではでは