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色んな作業しながら岡村靖幸のCDを聴いていて、
ふと「援助交際」という言葉が流行った時代を思い出した。

更に思い出した、村上龍の小説「ラブアンドポップ」は
渋谷で欲望にかられて援交する女子高生の話だけど

月給の低い公務員の娘が高級ブランドのカバン欲しさに知らない男と寝た、みたいなリアルにありそうな話とかが出てくる。


高級バッグの為に男と寝てしまうような現実に
岡村靖幸はガビーンとめまいが止まらず

恋なんて本質的に無理な社会のエネルギーを感じて
ストレスを感じていたのが一つあったのだろうなと思うけど

日本ってことごとく変わった国だよなあ、と思う。




立派なビルが乱立してピカピカしている見た目ほど、
豊かさとは遠い国なんだろうなと思う。

流石にブランドモノのバッグ1つで自分の欲望が満ちるとは私は思わなかったが、凄いことだよね。


食べものを買って命を繋ぐための売春なら昔からあったけど

ブランドバッグは少しの間
目立つとか羨ましがられるとかが得られるだけだ。





モノで何かを満たしたい、その為に体を売っちゃう、


川端康成の「雪国」に出てくる家族の為に売られた芸者が読んだら顎が外れてしまいそうなことだ。




「ラブアンドポップ」では、最後に高級な宝石を買うために援交する話が描かれていて

今を楽しみたい、お金で買える楽しみや輝きもある、

みたいなことが女子高生を援交に走らせる、みたいな解釈だったと思うけど

今、援交という単語すら消えてしまった世の中を観ると

潜在意識は少し違う気がした。援交の底に隠れた心は。





今や、パパ活とか頂き女子とか未成年が大人に性加害されるとか
当たり前、よくある話になってしまい、援交という単語が結果消えた。
 


各家庭の経済状態も格差があるし、
大人もまだまだお金で快楽を買ってる。


その上、都会では「子供に時間をどこでどう過ごしてもらうか」みたいなことに手を焼いている大人は多い。

で、ネットの出会い系はそこら中、で

援交みたいなのは必然的に増えるんだろうな、ってなんとなく社会全体で思い始めたのだろうと思う。

で、「大きな社会問題」ではなくなってしまった

被害も加害もない、やる人が悪い、みたいな概念、認知になってしまったのだろう。




・・・・モノとか異様な寂しさとかストレス、贅沢な生活費稼ぎ、

つまり「紛らわし」の為に体を売るということは今日本では「その程度」になってしまっているのでは。

経済のために結婚するという女は未だに多く、
それは結果芸者の身請けと同じで

結婚も子供を産むのも世間体の為、などというのもよくある話、

正直売春などというのは日常の程度でしかない人々の感覚を感じることがある。

こんな一部の話を感じていると鬱必須ですけど。


お金のやりくり、孤独を満たす、世間体にいい顔、・・・う~ん。。。



その一方でタダでストレス解消しようとしてる老人や男も凄い勢いで増えてる感じがする。




長くなりそうなので続きは次回。ではでは。