私は幸か不幸か長々と一つの会社の従業員のような生活はほぼ無いので

コロナ社会で沢山の人と交流してびっくりしたのが

「妬みや略奪が交流の中に渦巻いている」事でした。




催眠療法のセラピストはクライアントの悩みの評価を
カウンセリング時にするものでは無いので
妬みや偏見はそもそもNGです。


催眠で他人の潜在意識を覗けば

【そんなに人生は大差があるわけではない】

みたいな景色はみえてくるので
例えば社長さんですか、お医者さんですか、みたいな「立場で裁く」とかは消えます。



妬み、って無駄な行為ですよね。


妬んだところで相手が利益を分けてくれるわけでも無いし
寧ろヤバイ人と思われて遮られるのがオチ。


略奪行為似してもそうで。
逆にモノのようにぽいっと相手から捨てられるがオチ。



妬みや略奪行為する人は否定され孤独が深まって、

どんどん人間らしい交流を失っていき

どんどん獣になっていくだけの【負の連鎖】の話なのだが

これを知らない、わからない人は結構いるんだなと感じた。
妬まれる、は悩み事相談でも多いらしい。

まあ、ハラスメントの素みたいなものかも。





先日話題になってたので少し読んだ記事の中にも

「芸能人ってだけで昼過ぎに起きて飯は配達でみたいな生活してると思われた」
みたいなのがあった。

「朝早く起きてバタバタ過ごさない母や妻なんているのか?」ともあった。

=芸能人は金持ちで贅沢に暮らしてるから朝起きない、って概念だということだよね、この話は。

凄いなあと思った。

そもそも朝早く起きれる体があるって贅沢なことだ、
とかも分からないってことでしょ(笑)

言われた人はその人と2度と会わなくなったとか。わかる。




コロナ社会に吠えてた人たちの中には

「呑気にスポーツ観戦とかコンサートとか行くやつは・・・」
とか、

ありとあらゆる他人の姿を妬む人は多かった。



私は面倒くさくなって遠ざかったのですが

その人たちはコンサートやスポーツ観戦になんとかすがって生きてるような人種を知らないんだなあと思う。

妬む人ってそもそも社会に吠える事が最高の暇つぶしの人生で、楽しいことが無いからコンサートとかにも興味が持てないのだろうなあ。


だから楽しいと言われる贅沢な場所に、自殺思考からなんとか逃れたくて外に出てる人とかもいるのが分からない。

知らない。

レジャーに赴いていたら即妬む!

それって、レジャー=贅沢、っていう

世間のモノサシに汚染されてるだけで
つまらない話だと思う。



妬む事で暇をつぶし、お金があったらもっと暇が潰せると思うみたいな安易な考えに浸る人は多いのだなあ。






どんなに外に出て活動していても、沢山体験を積んでも

何も観えない人はいて、

決まった概念で裁いて、妬んで、奪えるものは奪う、

こういう人を「田舎者」というのだよ、

と言う人がいたけど、そうだなあ、と思う。


住んでる土地が栄えてるかどうかはなくて、

意識が、概念が狭すぎる
というのが

田舎者、というものだと思う。



概念の狭い人たちは細かなことに矢鱈拘ったり
妬むことを含めて人生全体が個人的ストレス解消で満ちてる。


ホントに羨むような幸せな人は、そもそも他人に興味がない。

ホントは興味あるけど、それは他人の真我とか、自分が影響出来る人種に思考は限られている。


金銭的に貧しいのは決定的な評価ではないけど、
心が貧しいのは厳しい。幼少期の記憶がらみが呪いのようになっている。

妬みや略奪行為以外にも厄介な行動が沢山ある証拠です。


妬んで略奪行為を研究し、みたいなことが身についてしまった人の人生は常に戦争だと思うけど、

それを止めたいと願うも願わないもその人の自由。失ってばかりの人生をやるのも勝手ですね。

周囲の者は付き合わないで、せいぜいエネルギーシールディングでもしますかね。博愛心もほどほどにして。

ではでは。