虐待って言うと

肉体的暴力、ネグレクト、教育虐待、

なんですかね。


私はもっぱら否定的な言葉をかけられて

未来の不幸を断定し奴隷化に導く話を延々とするタイプの虐待だった。


女子のいじめのような。



私のそれを初めて虐待だと断定したのは某東洋医学医だったが

その頃は「言葉による虐待」の話題さえ世の中には無かった。


=親はボロクソ子供に何を言ってもアリ、教育であり躾


だった訳だ。

今でもこの感覚はいっぱいあると思う。




コロナ前だったと思うが


東大とかそーゆートコの立派なセンセが

【言葉による虐待】

の本を出して話題になった事があり、


よーやく話題になったのだが


遅すぎますよね。言葉が世界を作る、ってことから言えば。




虐待には明確なモノサシはあると思う。


【加害側(大人)のエゴ(我欲)行動、ストレス解消行動】

はすべからく子供にとって虐待


なのだが


これが解らない人がめちゃめちゃ多い、


厳しくするのが子どもの為とか

早くから特別な教育したことは子どもの為になる、

逆にどこまでも構ってやれば子どもの為、



更には日常の悩みや愚痴を子供に言う、

・・・・みたいな、


大人の勘違いの底に有る

【一般的な潜在意識のエゴ】を知らないし


知識として情報を得ても、まさか自分がやっていると

普段はほぼ気付けないのが【人の脳の構造】なのだ。




孤独を与えることも過干渉も私は立派な虐待、孤独記憶を作ると思っている。


つまりは「子供に意見を問わないでやってる子供に対しての行動」は危険なことが多いと思っている。


特に物心がついてからは。


だから学校行く歳になったから、学校に送り出す、も

虐待とも言える。


学校の評判も悪いのに都合もいいし決まりだから送り出すでは

不登校が増えても仕方がないと思います。



孤独と過干渉は真逆のように見えて、同時に起こってる事も多い。


エゴだけで親が動いてたら

「都合よく」面倒くさい時は放置、支配したくなったら過干渉


よくある話だ。



エゴ実現=ストレス解消だけで生きてる、大人の周辺の子供は

殆ど孤独記憶を作る。


大人が「自分の欲望しか見ていない」意識から子供は孤独記憶を作るのだと思う。






近年、孤独記憶の作る犯罪、迷惑行動、っていうのは実に多い


と思っている。


盗撮も各種ハラスメントもストーカー殺人も

長い話がウザい会社の人も

子供に対する虐待も

SNSの誹謗中傷も


孤独記憶が絡んでいる。


加害側にも被害側にも。



孤独記憶を作る大人の意識状態は立派な虐待だなあと感じる。




そもそも子どもを産む理由さえエゴだったりする。


自分の名誉のため、

世間と同じ事をしていけば良い、

相手の希望、家族の希望、


エゴだらけだ。



こんなモチベーションで育てられたら


大人になって

個人的孤独を癒やしたいと変なことに依存症状態になり

延々周囲で変な犯罪は生まれ続けるかも。


理としては、そう。


必然的に子供を世間への見栄やストレス解消に使い始めるでしょう。



常々
【純粹性に繋がった心で行動しましょう】

と言っておりますが


大人がなるべくこの状態で生きたら

忙しい毎日でも

子供は孤独記憶をあまり作らないで成長します。


時間や機会の回数ではない。


大人の行動内容、質、を子供は感じて育つのだと思います。





子供の数は最少、虐待数に不登校、いじめ通報数は過去最多。



何が原因でしょうか?というと

今回書いたような【大人の状態が原因】だと私は思っています。


さて私達大人は未来に喜ばれるような何かを残して死ねるか?


これは人生をかけた勝負なのかな、と私は思っています。


トラウマを癒やし、潜在意識をクリアに保ち、純粋性に繋がった人生を自分と子どものために。


ではでは。