(これはね、・・・サラダパスタですね(笑)
夏は切って混ぜるだけで食べられる生野菜と香味野菜、
蒸したりゆでた野菜、ソテーしたきのこなどを用意しておき、
芋や炭水化物と混ぜたら食事は完了(笑)
油と酢とスパイスを少しづつ変えていけばよい(笑)
納豆や豆腐、週に1~2回ぐらいの鶏肉や魚、卵
これぐらいを基本摂ればよし、です。)
母親に虐待される→過食に陥るというのは
潜在意識的に
「バカヤロウ、お前(母親です)が死ね死ね、お前など生まなきゃよかった、
・・・なんつうのに、私は逆らわせていただきます、ハイ」
っていう感情が暴走する、
っていうのが通説になりつつある我が療法室、ですが
まあまあ食に依存する程度から、過食、過食嘔吐の話もよく聞きます。
(嘔吐がある場合は依存もあるとか、親に逆らいきれていないことが原因、もしくは支配に疲れ切って弱っている場合です)
40代に私は過食の終焉を迎えたわけですが
過食してたときは、あの、
・・・・さんざん食べた食品のパッケージのゴミの山やら汚れた皿やらを目にしても、
「まだ何か足りない」
と思ってキッチンをくまなく探し、もしくは無理矢理調理して食べて、
やっぱり遅れて気持ち悪くなって横になるとか、
・・・今もあの体の感覚は思い出せるというか、ほんと不思議な感じだったのを覚えています。
憑依、ってあんな感じなんだろうな。です。
エゴに走っている時の無神経さ無感覚さ、に似ている。そっくりだ。
よく「お菓子は別腹」って言いますけど
別腹、の時のように、お腹は全然満ちてなくて、
まだ体のどこかがスカスカ、って感じ。
遅れてやってくるのは満腹感というより気持ち悪さ。
今、時々手間暇かかる料理とか、本気で計画して作る料理とか作って、
丁寧に咀嚼しながら食べると、
過食して食べてた頃と比べてびっくりするぐらい少しで、
「満腹」というより、「満足」してしまう。
手間暇かかる料理を作ることは少ない。
ほとんど簡単においしくを目指しているだけのサバイバル食だが
時々きちんと工程を踏んで仕上げていくのを楽しむみたいな料理、
外で買いにくいものとか手作りがおいしい料理を作ると、びっくりするぐらい食べられない。
そんな時思い出す。過食の途中で満ちなかった感覚はこれだ、と。
心と体が満ちる、みたいなのが満腹感なんだと思う。
その、満ちてないもの、はほとんど「心の部分」で、
その心の部分の基本は【自分にとって今一番足りないもの】がなにか、
ってことを追及していないから、ってことが実はみそだと思っている。
好奇心か、近くの人の手間暇か、フレッシュな栄養素か、・・・みたいな何かです。
加工食品や外食だと満ちないってわけじゃない、です。
↑の満腹感の私の例は、たぶん自分が丁寧に料理することが少ないからこそ起こる。
毎日丁寧な料理食べてる人が、ジャンク食べたら心が満ちたとか、
同じことが起こるかもしれないのが人間だと思っています。
母親の強烈な孤独埋め依存に遭っている人は、コンビニ弁当で癒さされたりするんだと思う。
つまり、その時の自分にとって本気で
「美味しいものを食べる」
事に妥協しないって事だろうと思います。
過食で胃が弱くなったとか、苦しんだのはほんとによかったなあ、と思っているのは
わがままになった胃の言葉を聞く機会が増えたこと。
制限が多いからこそ、食事を選ぶのは大変。
でも快楽も絶対欲しい。
いつもキワキワで、間違うと如実に体調が悪くなったり良くなったりする。
その毎日の真剣勝負で
「自分にとって最高に美味しいものを見極める」とか
「絶対ダメって言わないで欲望に妥協しない」とか
そういうのをマジで学べているのは凄くいいことです。
過食の元=虐待で苦しんだなんて言うのは、マジで母子に向き合っちゃった、みたいなのもあると思います。
これは誰もが基本的に神経質になる関係性だけど、程度はあります。
で、その、努力家でまじめなやり方が
過食に多大な罪悪感や、努力を強い始めることが多い!
「お菓子ダメ」「レトルトダメ」「外食ダメ」とか
まあ、様々な情報から得たダメ情報でどんどん縛り付け始めて、
それでどんどん良くなるかと思いきや、
ある一方では健康に向かいながら、ある一方では精神心的に病んでいったりする。
例えば便秘は良くなって肌もキレイになったけど、時々食べてしまうときの量は多くなったとかが起きる。
逆にダメなものを食べたら満足するかって、
ステーキ何枚も食べても他のものが良かったな、なんて思うもの。
これらは全部「一般的なモノサシから言うと・・・」
みたいな判断で動くから起こる。
人生も食事も快楽も、本当に個人的な楽しみの感覚の追及に他ならない。
私の過食症講座のテーマは「絶対、ダメって言わないで
【〇〇食べていいよ】をしつこく細かく言っていく」
これをホント、どこまでもやっていくこと!
&
食べるものに妥協してはいけません(笑)
いい関係や時間が過ごせない相手とは、血が繋がっていようが何だろうが過ごさないこと
と一緒で、
「マジでおいしい」とその時思えるものなんて実は少ない。
過食でホントにおいしいと思っている食事って最初の一皿ぐらいでしょせいぜい。
食に妥協するというのは「生きることに妥協する」につながっていきます。
そんなときもあってもいいけど、苦しんでいる人は時々訓練して。妥協なき食事を。
冷凍食品も食べてみたい!って思ったら必ず叶える。
チョコレートも、とんかつも、パスタもステーキも、全部、です。
必ず「自分にとって最高のもの」をかなえることです。
例えば、冷凍食品でもいろいろあるでしょう。
自分の欲望をきちんと細かく、心の中で箇条書き、とかにします。
有名メーカーの新発売炒飯を、全部一度に食べてみたい!とか
某メーカーの定番の炊き込みご飯を、ドリアで使ってみたい!とか
チョコレートなら、苦くて高いのでナッツ入っているやつ、とか
チョコチップクッキーで食べたいけど、チョコチップが苦めの、大きくてゴロゴロ入ったやつとか、
・・・世の中にはいろんなものがあるし、
自分の理想はどれか、きちんと決めて取り掛かることです。
ステーキでも、国産高級和牛から輸入の牛肉、どれがおいしいかなんて誰が決めるのだ。赤身の硬い方が好きな人だって絶対いるよ。
私は過食の矯正に硬いものをよく食べてた。硬いもの、好きです。
食の選定、欲望の選定に【他人の定規は不要】です。
不健康そうだから、とか中毒になるとは、中途半端に食べるから生まれることが多い。
自分の「これだ」という欲望が定まったら忠実にやるだけやると、
ほんとにハマるものハマらないもの、
重要なものそうでないものがわかってくるから。
&
そこで「変な執着」の時は、スーパーでお気に入りのその商品がその日だけ無かったりするから(笑)神の介入!その時はきっぱりあきらめる&「ストップかかった原因」を考えてみましょう、です。
・・・・そういうストップかかったものって、後日いただくと激マズなことも多いね(笑)
例えばこの前、久しぶりにチョコ食べたいなーと思って、
妥協なく買い物し、妥協なく全部食べたら、
やっぱり「満腹」というか「満足」以上の「もういいな」、って感じになった。
それで今日、コンビニでチョココーナーいったら気持ち悪くなったぐらい(笑)
その時食べたのは2品、だったけど、理想的な味だったし、
全部「いいよ、楽しめ!全部食べていいぞ!」って気持ちで食べた。
ああいうのが、チョコに関しては年に数回あればいいな(笑)、と思った。
こういうことを時々やった方が、砂糖麻薬依存は少なくなります。
心を吐き出すことが大事なので、総摂取量は限りなく少なくなると思う。
(そういえばあれ以来、砂糖はビネガードリンクと煮物で摂ったぐらいです・・・)
夏は甘いものは食べたら下手すると疲労感につながる。
でも、「どうしても」(何かが食べたい)、みたいな強い感情の時は必ず我慢しないで叶える。
こんなことを続けていると、自分のコンディションを支えてくれたり、気持ちよくしてくれる食べ物は何か、ってわかってくるようになった。
その昔は酷い栄養の偏りで、夏の疲労感はすごかった。口内炎もいくつも出してたし、朝起きられないのです。
一日の始まりを、凄いカフェインのインスタントコーヒーを乳糖たっぷりの牛乳に溶かして、カフェイン&砂糖麻薬でなんとかしないと起き上がれなかったぐらい
でも、その酷い食生活の反省こそが、今の快適さにつながるのなら失敗もいい経験になった。
ああいうことがないと栄養学も学ばないでしょ。
過食で胃も弱くなったからあまり食べると夜寝付けない夏は、自然と大食などは収まってしまった。
それでもちょっと歩くな~~~って日は、ブランチでいきなりチキンカツ食べたりする(笑)
自分に合った食生活を見つけられたのは過食を経験したからこそ。
過食症に罪悪感を持たなくていい。
過食症も意味があって起こっているのです。
私は母親の虐待の心的傷のケアと栄養学の様々を、過食が無かったら学ばなかったかもしれない。
自分の定規を持つって、虐待や過食が教えてくれたことの一つですし。
もちろん乗り越えられない、酷い人には、催眠で「過食の理由」を探って見るのもテです。
私は過食死した前世をしつこく書き換えましたから。
こんな風に、色々使える催眠が楽しい人生です(笑)
夏を楽しんで、食べて元気に。ではでは。