芸能人が死ぬと「自殺か?他殺か?」などという発言を、最近は必ず目にするようになった。
地方の議員が発信していたりして、コロナ後陰謀論流行ってるのかな、と思う。あけらさまな医療詐欺が世界で横行してるから。
一昔前は誤解されるだろう事柄だったから、地位のある人のこういう発言は無かったと思う。
最近起こったLBGTQタレントさんの死の時もそういう発言を読んだ。
私が思ったのは、正直、それがどんな死でも自殺と報道されたLBGTQタレントさんの死は間違いなく政治に利用されるだろうということだけだった。
&神が死を赦した、ということです。
素材があって、マスコミが色んな言葉で調理した記事をスポンサーの指示通り書いて稼ぐ世の中。援助がないと、くだらない痴話話や中傷や想像だけ書きたいように書いて生き残れるはずがない。
自殺報道直前に、女装し、心は女とする人が会社での女性トイレの自由な利用を最高裁が認めたばかりだった。
社会の意思なのか神の意志なのか、いまの地球はLBGTQで大騒ぎしている。
最近のLBGTQ擁護傾向な社会に対し「性犯罪の増加につながる」と警笛を鳴らす声もわかるが、
私は「個人次第では」、としか思っていない。
LGBTQが酷い差別を受けているのかどうかも、個人によるのではと思う。
LBGTQ側、傍のそうでない人々それぞれの。
個人戦なのはこの世の誰もが同じことだと思う。
大金持ちの誰かさんが社会が混乱するように画策しているとか
その人たちの都合で人が急に殺されるとか
法律が犯罪増加に利用されるとか
そういうことを信じて、結果隣人も信じられなくなって、個人が戦争状態になって、何も楽しいことのない人生に誘導させられている、
みたいな流れにまんまとはめられたひとを、いっぱいみた。
もしくは猜疑心や恐怖や不安を肯定して満ちているような。
政治や陰謀論を信じて幸せになるならいいんだけど
結果、この【質の悪い詐欺】に誘導されているようなことに気づかない人が多いような気がする。
そういう人たちが情報強者である(と思う)おごりと人間不信に陥った結果、餓鬼みたいに親切な他人の隙を狙って何かを奪おうとすることを肯定し暴走、みたいなことは多く、面倒だなあと思う。
それがモラハラ問題には顕著に出ている。ハラスメントはすべて。。。
ご本人たちは「世界に冷たくされ続けてきたのだから時にはわがままを聞いてもらい親切にされて当たり前」だと思っているみたいなので「なるほどこれがモラハラの原点だな」などと思ったことを覚えている。
仕方がないかもしれない。彼らにはひと時でも生きていて満たされた、幸せ、みたいな体験がゼロor少ないのだろうと思うから。
世の中の陰謀と言われることに引っかかるか引っかからないか、信じるか信じないかを競うゲームで勝てば「幸せ」かどうか。
ずっとこのところ疑問に思っている話。
陰謀論が好きな人の会話に群れに加わると、その人たちは必ず、恐怖の未来予想を「必ず起こる」と負の暗示を自慢気に話す光景があったが疑問に感じていた。
前に何度も言ったと思うけど、有意義に思わない。
例えば↑で話した、女装の心は女の人が裁判で勝った話で、性犯罪が増える、と言ってしまったら、その人の周りでは確実に増えるのでしょう。
言葉というのは引き寄せです。
私は「そんな法律や判決前から性犯罪をやる人はやるし、実際ニュースではよく上ってきているみたいだし、未来に犯罪をするエネルギーは育てられているんだよね」と思った。
そのうえ、誰もかれもを加害者疑いし始めたら、被害の引き寄せが起こるのは確率高くなるだけだと思う。恐れた人に詐欺は寄っていく。
何らかの悪用されるとよくない法律ができても、それを使う人が悪用するかどうかが試されるのが地球というところ。
悪用されるを信じて、隣人を疑うエネルギー増加に気づかず、毎日外を疑って生きることが幸せならやればよい。
悪用もどうせ自分に返ってくるのだから、やりたい人はやればよい。
悪用は信じないという人もそれで良いと思う。
私は悪用する、間違える不完全な人も出てくるだろうけど、個人の中のエゴや宿命=この世で解消したいと思っている課題はたくさんある上に気づかないことが多いから自分がエゴ修正しなかったら厄介ごとは引きよる、基本は他人を信じるを貫く・・・、
で行こうと思っている。
自分の中のエゴに気づいていけば、冷静になり、厄介ごとに巻き込まれることは少なくなる、ということを信じていくのみです。
陰謀論を知っている人が、この世の善悪を裁けるほど「この世で悪いこと」とされることをよく知った人か?というと疑問に思ったこともあった。
例えばSNS上で「メールやチャットなどでカウンセリングすることを職業としていますので、ネット上の個人的な相談や話は控えるようお願いします」と再三私はお願いしているが、これを守れない陰謀論好きは多かった。これは一度や二度ではなかった。
個人の心の国の中では犯罪されたと同じなわけです。
私はそれらが起こったのは、カウンセリングなど行く状態にないと思っている無認知なのか、話が読めても理解できない発達障害みたいな状態なのか、ただのけちか、孤独か、なんだろうとは思ったが
世の中の犯罪者と同じように、自己エゴの正当化や、無認知、がことを起こしていることは確かだと思った。
それはそれで、それなりの果実を得たらいいわけで。
私はどんな理由だろうと、迷惑行為と思われることをされたら付き合えないというだけです。
いろいろ書きましたが、地球はそういう【個人的な心の実験場所】でしかない。と思う。
キレイな心、崇高な魂の持ち主みたいなスピ人がいうから人を信じる、何が起こっても私は人を信じます、とイージーにやっても、それはそれで果実が来るだけ。
陰謀論を信じて、あらゆる他人を疑うに誘導されるも自由。
常に警戒して生きるのも自由。
世の中操作されている、支配されている、と思うのも自由。
それぞれに果実があり、それに満足するかどうかも自分次第。
きちんと自分のセオリーを確信して、生きていくのみ。
敵は外の世界にはない。自分の中にある。
ってだけだと思う。
どんなにか反省し全力で努力しても、辛い事件は起こると思います。
それで新しい成長が促されるということだってあるとは思うが
考えたくもないような悲惨な事件の当事者になることだってあるのかも。
世の中にはキラキラしたことしか書かない人も多いから、事件やスキャンダルを一部の人の話だと思うことだって多いのだろうけれど
幸せは自分が決めるもので、社会が作ってくれるものではない。
体験すべき事柄は体験させられるのだろうと思います。
心が折れそうになることも多いだろうけど、基本は、勇気をもって生き隣人を信じる。
これを信じないで家の外がすべて戦場と化すような人生は送りたくはないから。
特に大きな事件以外の小事のごたごたの時、誰かのせいにしたら自分を顧みるチャンスを逃す。これらのチャンスを逃してしまうと結果、大事が引きよる。
だから、日々小さなゴタゴタや自分を顧みるのが大切な訳。
だが心が折れそうになる事件の体験をしないと、他人から力を借りることやその喜びを知ることもないとは思う。
それだけなんだと思う。
少なくとも私の幸せは、疑うことに促されて悪霊みたいに奴隷を生きることではなさそうです。
ではでは。