私は基本洋画が好きで、韓ドラに興味がない。



カタカナ表記の芸名も役の名前も覚えられないことが多く


脚本や設定がショッキングで極端な感じで(国柄なんだろう)、見続けることはほとんどない。




ほとんどない、からこそ、


ものすごい低い確率の中で意味もなく見続けてしまうことが起きると人生の不思議を感じる。





ずっと前に見てた韓ドラは、溺れたタイミングで前世記憶に入ってしまって、・・・みたいな催眠的な話だったことが理由だったみたいだったが(最終回近くになってそれが分かるw)



最近起こったのは、最初の回でいきなり若者が自殺で死ぬみたいな話だった。



あ~~~いきなり初回のショッキングな出来事、よくありがちな極端な展開・・・・と思い、


ネットであらすじや結末がどうなるのかを調べ、ふ~~ん、やっぱりなんか日本では絶対ドラマにならないような、様々な設定や展開に疑問だらけの話だな・・・とか思い


心ではなんともイージーでドラマティックなだけの展開に冷めながら


なぜか観続ける、みたいなことが起こったので、どういうことなんだろう、と思っていた。


興味があったわけでも暇が死ぬほど潰したかったわけでもなく。





一つ考え付いたのは、主人公の女の子が妬まれいじめに耐えかねて、見知らぬ誰かと一緒に自殺しようとする、という話を観て


最近【妬まれる】という話が続いているなあ、だったので

引き寄せちゃったかな、


でしたが


ある日、はっと眠る前の【自然催眠状態】で、気づいたことがあった。



これだーーーーと思った。





その韓ドラの・・・主人公の女の子と一緒に死のうとして、自分だけ先に自殺した男の子、は

自分が起こした交通事故のひき逃げを親が立場を利用し他の犯人を疑わせ、結果隠ぺいしたことが原因で自責の念に堪えられず、自分は怪物だ、何人もの人を不幸にした。。。と言って死んでいきます。




これ、私が高校生の時に自殺したいとこの死に方に似ているんです。


彼は大学生活のさなかに交通事故を起こし、子供を意識不明の重体にするような事故を起こした。

まだ、免許も取って長くないときに起こしたものでしたが、親というのが私の母親以上に毒親な母の妹。

とにかく口撃して論破、子供の言い分を聞く耳が一切ない感じの人だったので

「仕方がないだろ、こういうことは初心者なら起こす可能性はあるし、起きてしまったことにくよくよするな」こんな時の為に保険も入っているんだからな、・・・


みたいな感じだった。


実際にそんなことを葬式のさなかにも言ってた気がする。





それは確かにそうなのだが、手土産にお見舞い、もちろん保険の手続きとかまあ、お金で済ます、を淡々とやって終わらせたみたいです。


で加害者の子供にはただただ「忘れろ」。



母の妹は、世の中のドライな価値観で生きる機械みたいな女だった。



でも「意識不明で、障害が残るかもしれない」みたいな子供を作ってしまった事故を起こしたご本人は、そう簡単に心を切り替えるなんて出来ないわけで。

彼は若かったし、繊細で、才能豊かな子だった。だからこそ、「この世のルールでドライに済ます」などということを簡単に受け入れることはなかった。


ずっとその思いを誰にも語ることが出来ず、「いつまでもくよくよしているんじゃない」の一点張りだったろう親に疑問を持ち続け、

それが爆発してしまったのは、

例年の通り、両親が二人だけで年末年始に温泉旅行に行くから子供たちは適当に過ごせ、といって出かけてしまったその事故から暫く経ったあとのお正月だった。



親が家を空けた隙に、彼は自殺を図ってやり遂げたのだった。




お正月過ぎの寒い葬式に、いとこたちと向かったのを覚えている。

遺体の状態から、死に顔を観ることは許されなかった。





私はそれから、長くいとこのことを思い出さない日はなかった。

高校生の頃は、身近な人が悲惨な死を迎えて死んでいくのをいくつも見た。その中の一人がこのいとこの死だった。


一つも「自然な幸せな死」の葬式が無く、事故死とこの自殺と、虐待死。

前にもこの話は書いたけど、酷いものだった。

中でもいとこの死はショッキングで、つい最近まで彼の遺品を持っていたと思う。



私はこの孤独な生活の中で、急に変な趣味にはまったり、不思議な事 ーいつもは観ない韓ドラにはまるとかー が起こると、最後にポンっと「あ、これは死んだ〇〇さんの趣味だよね・・・」とか思い出して、孤独な私の人生を支えに来てもらった気になったりしている。


先日もクライアントさんの大切な知人が催眠の中に登場したと思ったら、セッション日当日になんと亡くなっていたことが後日判明して、「イメージの中で会えているのであまり悲しみがない」というような旨のメールをいただいて、興味深く思っていたのだが


この春は、全く見ている理由が分からない韓ドラを観ながら、久しぶりにいとこのことを思い出していた。

私はあのドラマの主人公と同じで、死に損なって、何とか生き抜いているのだろうなと思っている。同じような毒親の虐待に遭って、耐えて、結局いとこの死の後数年で鬱に倒れてしまったけれど、なんとか生きてる。




彼は小さいころ私をお嫁さんにしたい、などといったことがある。
年が近いからだと思うが、びっくりして変な返答をした思い出がある。それを今ももう少し気の利いた返答をしておけばよかったと後悔している。


私はあれからずっと、一生を通じて子供や人の繊細な心を学んで、守って、理解する、ということを学んでいる気がする。

いとこはずっとそれをそっと遠くから見守っている、

そんな気がする。



私の人生に時々現れてくれるような感じのする死んだ人たちのサインは、家族のような存在かもしれない。

虐待されてた私のことを多分知っていて、静かに見守ってくれた、優しくしてくれた、死んだ人たち。

この春は牡牛座にとって「生まれ変わる」タイミングだったけど、その「一回死んでまた戻る」ような時期にみた、意味の分からない韓ドラを私は忘れることはないと思う。



沢山の死んだ人たちの残していった心や、たくさん食べて奪ってきた植物や動物の命で私は出来ている。

そう思うとなんだか、とてもたくさんの命に囲まれているような気になります。


家族ってこういう存在の全てのことのような気がします。


世界の大勢の人に紛れると命は軽々しく扱われることも多い世の中ですが、時々こんな死んだ人のことを思い出すと元気が出ます。




死んだ人の悲しみにまだ向き合えないで辛い思いをしている人には、悲しみを和らげるための「悲嘆療法」もぜひおすすめします。



そういえばこの間「子宮の病気の話」のTV洗脳の話

を書いた日は、同じ病気で若くして死んだ、


小さなころに病院で強引な子宮の手術を受けたために病院嫌いになって、末期になるまで卵巣癌を放っておいて医者に行かなかったクライアントさんの誕生日だった。



こんなこともあるから「病院に早くいけばいいじゃない」いい例です。






不思議なことが多い春。ではでは。