(今年は大根が恋人(笑)の冬でしたので、おでんが定期的に食されました。
大根は小さめのものを買うと、火の通りが早いみたい。
あっという間にトロトロでした。)
コロナの嘘社会に反対!っていう人種が、若いお母さんや一部の自然療法家を除き、
ほとんどインチャ荒れを癒すために社会に向かって吠える依存症なのを知って
なんだ、社会に歯向かうふりして大事な敵を見逃しているかあ、
って思ったことで、
「ならば、【一番の敵に気づいている人】を探してみよう」
というのが、毒親育ちさんや家庭での虐待被害者、性的虐待被害者を知るきっかけとなった。
日本では特に、年上に逆らわない文化や親孝行というより信仰(・・・より怖い感じの洗脳)が存在していて、
親に逆らうとか縁切るっていうのはほぼタブーで、公言したら説教の引き寄せは覚悟した方がいいぐらいのもので
私は過去30年以上は楽勝に孤軍奮闘、四面楚歌だったけど屈しなかった毒親育ちです。
まあ、世間に理解されようという願望は早々に捨てて生きたから今の快適さにたどり着いたのですけど。
親に対する洗脳の深さがどのぐらいか、社会に吠えて誤魔化す完全に親に洗脳された未認知奴隷さんたちを観た後だったので
「親の本性」「家庭の裏話」が言える人=世の中の最大の間違いに気づいた人、タブーに逆らえる人
というのは素晴らしいと思ったが
「過去のトラウマに屈している自分を認めてもらおう」、ネガな「こんな過去があっては幸せになれない」みたいな発言が多く
よくなりたいとか改善したいみたいな話にはほとんど出会えなかった。
「死にたい」「生きている意味がない」「毒親育ちだから幸せになるの無理」
というSNS投稿は正しくは「公言」なので、メンバー限定投稿でなければ公の目にさらされる。
これらを一般の人が読んだら「心配になる」か「元気を奪われる」かだから必然的にエネルギーを奪う。
その結果、アンチとか一般の人が絡むとか馬鹿にする、みたいな流れをいくつかみた。
「親の恩がわからないのか」みたいな洗脳されたアンチはどうでもいい(恩というのは自然に湧くものだから理解するとか気づきの話ではないと思うので)けど
ただただネットの向こう側でネガな願望を言い続けて、仕方がない、仕方がない、と言い合ってたら「傷のなめあい」、という評価をされるのは仕方がないことかもなあ、とは思った。
ただし私は見ても相手に伝えようとか思いませんけど。
所詮SNS、なのだから、知らぬ人と分かり合うなんてしなくていいのだと思っている。あくまで「参考」とする情報を私は得たいなと思っているだけ。
言葉なんていくらでも嘘が言えるのだ。特にネットでは。
ネガな投稿は私も元気が奪われるのであまり読まないようにしているんだけど
時々目にしたり、気になる発言やアンチの被害を訴えている人を観察したりしていると
ずっと【トラウマの話しかしてない】ことが多く、
それを理由にして
最近遭った「嫌なこと」に対し
「相手が奪ってくる」「こういう人がいなくならないと」
というのが多い。
「幼少期が駄目だから何しても無駄」が着地点。
アンチが絡んでくるのが嫌ならまず遮るかSNS止めるか。応答もしなくていいと思う。
そうすれば少なくとも被害はなくなる。
でも出来ないって人が、多いんじゃないのかな?
被害は何事も「トラウマ=親に攻撃された経験、と同じようなことが繰り返している」だけじゃないです。
虐待などの陰で静かに育っている【孤独記憶】を癒そうとして行動しているから起こることも多い。
私も何が何だかわからないぐらい衰弱した後、催眠して一番最初に出てきたのは、幼少期に自らが虐待されるシーンではなかったです。
親同士の言い争いを、ぽつんと傍から見ている2歳ぐらいの光景でした。
・・・無視されている幼児(孤独感!)、
これが一番「ヤバいこと」=その時気づくべき原因、だったです。
まず虐待とかって
20~30代ぐらいから始まる、ふいに思い出しているような記憶、っていうのはほぼ、海の表面を見ているレベルの出来事でしかないです。
それも色々と、口撃レベルで済んでいるものから、肉体的に大きな苦痛や打撃を伴うようなものから程度もあるとは思いますが
虐待の最初はまず「面倒見れない≒放置」から始まるのではないでしょうか。
その後、色々と攻撃や利用なんかが始まります。
大人になって思い出せることって、ほぼこの部分が記憶の表面にお鍋のアク、みたいに出ているだけなんですね。
で、、この時の攻撃に耐えた経験(トラウマ)→他人も攻撃してくる「引き寄せ」が起こる
みたいな話は出回っているらしいですけど
これが「攻撃されたトラウマがあったら延々と続く」は違うんですよね。
多くの人はよく言われる(孤独起因で)
「無視されるより殴られる」を選んでいるから、なんです。
一般的に何かに恵まれなかったら、何か別に恵まれるものがある=幸せの量の平等、って私は経験値から信じてます。
だから親に恵まれなかったら、結婚相手とかほかで恵まれてもいいはず。
でも私が知っている人たちは、
自分から出会いに社会に出て行っても、結局孤独埋め行為に仕事が終始してしまったりして、ほかの人が「重い」と感じるようなことを進んでしてしまって鬱、とかそういう人も多い。
SNSの積極的なネガ発言&自己擁護のようなことを、社会活動の中で進んで行動してしまうようなところがある。
この場合、
「親とのコミュニケーションが壊れてたから分からない」から上手くいかないではなく、
「そもそもコミュニケーションが存在してなったから、飢えている」
ので、相手の注目を積極的に奪う行動をする傾向があるのだと思います。
コミュニケーションがわからないなら恐怖で家から出られないとかが起きる気がする。
SNSも恐怖を感じたりするかもしれないです。
でも、誰かにわかってもらいたいから公言し、アンチの怒りや突っ込みを引き寄せるような何かが起こる。
でも止められないし、反応してしまうし、応答したり説得に走ったりしているのは、まぎれもなく孤独を埋めているのが先だからだと思います。
前述したような孤独記に私は気づいた後、
様々なトラウマや(前世などの)記憶を思い出し記憶をケアし
過去、なんとなく鬱になるまで働いてしまった時のことや、うざいことしてたよね、迷惑だったなあなんて思い出すこともあります。私も、経験者の一人です。
今は自分からさっと去ることも多いし、他人の面倒に付き合わないこともできます。
世の中トラウマがなくても、飢えた獣みたいな人が狙うようなことっていっぱいありますから。
孤独記憶が強いとそういう審美眼が曖昧になるんです。モラハラ夫に気づけないとか。
まさに「無視されるより・・・」です。
そしてSNS上の他人同士が様々な事柄で言い争うのを傍観するたび、
「自分がしたいこととか探すとか、小さなお菓子一つ食べてた方が幸せかもなあ」と思います。
催眠をしててよく思うけど、気づいた方がいい記憶の一番トップに君臨してて、多くの人が気づいてないのが【孤独記憶】なんだと思う。
うちに来る人でも「両親はそろっていて兄弟もいたから孤独はない」みたいな申告をする人は多い。
実際の物理的な「孤独」と、【孤独記憶】が形成されているかどうかは、全く違います。
これを話すと長くなるので
過去記事を参考までに。
過去にとらわれて、自分の周りの幸せを楽しむ時間を失わないようにと願うばかりです。
&微妙な小さな事件や嫌な出来事、は個人の記憶を癒すことから、です。
情報機器が昨今沢山出回って、たくさんコミュニケーションが充実するような雰囲気だけがこの世にはあるけど、
多くの人はどんどん孤独を深め、互いを非難し、攻撃的になっているような気がしてならないです。
正しくはスマホなどは情報伝達機器ではなく、暇と小さな孤独埋めぐらいにしか使ってないのが多いのではないでしょうか。
元々
自分の中の情報が一番基本で大切、ですから
ネットの充実などは私は特に期待はしてないですが。
孤独やトラブルが消えるとき、少なくとも何かしたいなあ、とか興味が持てるもの、を手にしていると思います。
それは、
トラウマがあっても手にすることができると思う。
孤独を癒す、ではなく紛らわす時間で何かを探してください。無駄な争いで消耗しないようにと願ってます。
もしくは割り切って休息をお勧めします。
ではでは。