(まるでこういう写真集の写真家になったみたいに、ほぼ人のいない風景をカメラに収める楽しみを知る。

ほんと、恐怖催眠ってすごいなあ~~って思いながら。

今出歩いているのは、仕事の人と、体と催眠を知っている人と、寂しい人間と、非難依存症の人間が自粛ナントカしている場合だけなのかな?・・・)






未だに名古屋は人が少なくてびっくりしている。


感染者も、死亡も出ていない。

下痢とかインフルとか包丁で手を切るほうが実際怖いような環境下で、
誰も止めてないのに未だ自粛の雰囲気。

効果もないのにマスク強要。



残念ながら世界にはもう、キンの空気は蔓延しているはずです。

でも発症しないのは何なのか、という事を学ぼうともしない。



いまだにSNSでも、自粛が大事とか言っているの見ると、笑える。

TVの暗示催眠ってすんげえなあ、と。






体のこと知らないって、不自由だなあ、と

情報という悪霊のいい餌だなあ、と、個人的には思ってます。



SNSに7人家族のうち一人だけ結核を発症しなかった母のことを書いたけど、
そういう身内の生活習慣を知っているって財産。


私自身も結核菌が多いけど弱っても発症していないという事実は大きい。







先週とあるⒶカレー屋さんに行き、
そこは早々に自粛解除して、通常に戻した店だったが、

それを「みんな真面目~」

などと店主は言ってたが、それも少し違うなと感じた。



その店はほぼ無休で、
カレーの味も今流行りだから、ぐらいで、

勘と空気読みで通常に戻したようで、

情報過疎なんだろうから恐怖に煽られていないのは良いけど、
真面目とかそういう話じゃないなと思って帰ってきた。


結局感染の仕組みとか問題点をよく知らなさそうだから、

その点において自粛している人とそんなに変わらないかもな、と。





とある別のⒷカレー店の店主も、自粛解除後、早々に通常に戻した。

それをSNSで医療関係者が突っ込んでた。 自粛しろ、と。


私はとうとう、その無知な医療関係者にうんざりして、個人の免疫の問題です、私は肺弱者だが大丈夫です、死者もそんなに他の病気に比べてどうなのか、というようなことを書き込んだ。



その店主は私宛に、自粛で経営もたくさんの人が厳しいと言ってて自分のところもそうだし、でも大丈夫だと思って再開しました、

そう伝えてきた後に、「自分も内臓疾患を抱えている」と書いてあった。

結構な疾患だった。

でも言われなきゃわからないほど、店主は元気で状態がいい人だ。

インドでは、状態のいいシェフの店に行くのがいい食事の条件だという。

まさに「上級の条件」がそこにはあるような店だ。



なるほどなあ~~~とその店のカレーのシャープな一皿を思い出しながらうなずいた。





Ⓑ店主の体は「こんな感染症、世間で騒いでいるほど危険じゃない」
って多分言ってて


体の内部に常に意識があるから、そういうのがわかっているんだろうな、と思ったのです。


だから、Ⓐカレー店の人が「真面目だなあ」っていうのには違和感を感じて、
Ⓑカレー店の店主の発言や行動は、納得がいくしいいなあ~~って思ったのだろう。




生まれつき疾患がある、
それと闘ってきた、

っていう人の中には、
医療情報という悪霊と対等に渡り合ってきた歴史があったりして、
時々、シャープなものを感じる。


もちろんほとんどの人は、薬にまみれて、悪霊や不快なものと仲良しなので、魅力に感じない。



私も不健康な体で、内に意識を向けざるを得ない人生で、それこそがいろんなものから守ってくれるのを感じているけど、

「病気の神様の声」をよく聴いているというのは、個人にとってとても有益だと思う。



世間は寂しいとか怒りとかでいっぱいで、自分の声を聴いてほしくて、私のような内に目を向ける人間を常に非難するが、既にそういうのもどうでもよい。


自粛してない人間の免疫を測れるわけでもないのに、自分のことは置いておいて監視に回っている暇人が後を絶たないらしいが、そういうのもどうでもよい。


いつの世も、自分の神様に忠実なしもべは、他人から非難されるが常。


悪霊に振り回されて死ぬのも、個人の自由。


結局監視人間も、面と向かって非難できないような人も多いし、
会社も休みでパワハラ出来なくて家に居場所もなくて外出ているんだから
知らない人間に怒鳴るとかしかできないような人間は依存症だから感染症より厄介だ。



妊婦さんをはじめ、私のような数値に出ない肺弱者や、虚弱的な体の人間は、実は今回のような催眠には強いのだと知った。



体の内側に意識を向ける機会が多い人というのは、それだけで宝だと思う。



悪霊と闘うのが相変わらずうざい日々が続きますが、

皆様お元気で、自分らしく、後悔のない日々を。


体の声を聴きたい人は、一度催眠でも試してみてはいかがですか。



自粛が「あほらしいものだった」という事に気づく日々がやってきたときに、悔しさや後悔でやり場のない怒りにならないように祈ります。


怒りこそが免疫を下げる。


今日という日は今日しかない。

ではでは。