先日、以前に行ったカレー教室に再来した。



以前のブログを読んでくださった人がどれぐらいいるかですけど、
すごく「料理が嫌い、食べるのもそこそこ」の人とか、
いろんな意図で来ている人の多いところだということを書きました。

私は、「近所のインドカレー屋さん」のことって、あまり表に出ない(・・・料理本とかは、旅した日本人研究家がかいているのがほとんどですが、よくあるネパール・インド人は国の免許をとってきていて、そのレシピはほぼ一定しているようだけど、本には出てない気が)ので、興味があって行ってみたのですが、


レシピは興味深い!です。



よくある、日本人に馴染みの深いメニュー、・・・バターチキンカレー、とか、そういうのだけではなくて、この間は、ナスのペーストでカレーを作ったのですけど、それは美味しかった!(&珍しい!)

動物性のものは少し入れたヨーグルトのみ。我が家では豆乳で代用したけど、美味しく出来た。

茄子は、焼き茄子にして使う。




いつも行って、スパイス料理いいなあ、ハートインド料理ハートと思うのですが、

先日は、とうとういきなり訳もなく風邪を引いてしまった。



最後に一緒のテーブルで食をともにした人などからいわゆる「貰った」のだと思う。

お教室ではなるべく黙っているのですが、(仕事では喋りますよお~(笑))

前回「意図のわからない人」に囲まれて疲れたので、
それで少し恐怖があったところで引き寄せて、貰っちゃったんだと思う。




具体的には、
田舎のヤンキー、みたいな人が、試食で同テーブルだったのですが、

テーブルに着くなり料理を見て、「辛いもの駄目、炭酸駄目、逃げ場がない」と言ったのだ。

最初何事か?と思った。



その日のメニューはもちろん事前告知が有り、連続開催の教室でもない。

その人は隣の人と同伴で来ていたようなので、私は「もしかして親子?つきあわされたのかな?」と最初思った。

結構レッスン料もするので、「軽くお付き合い」で「好きでもないメニュー」を食べに来る、って言うのもないな、と思ったのと、ファッションが若干若かったからですが、

その後のお話を聞いていると、家族でも親子でもない感じだった。

つまりその人は、寂しくて、知り合いがあまりいなくて、一緒に来ていた人が一人で参加する勇気のないひとで、仕方がなく付き合っただけのようだった。




その二人はお金は掛けているが清潔感は無い、レゲエとかハードロック系のスタイルをしていた。

少し伺った感じからすると顔は妙に若い感じのようでした。子供のまま、というか。
肌といわゆる中年女性のよくある体型から30前後だろう。


お話に奥行きはなく、広がりもなく、とにかく「不満を言う」という最優先事項で発言する、という行動習慣のある人だというのがわかった。

隣りに座っていた人が少しだけ相槌を打っていたが、私は聞かぬ存ぜぬ。

それはそもそも・・・・うちの母親が、こういう人だったからだろう。

いつか利益になるかもしれない人には死ぬほど丁寧で親切な奴隷のようだったが、うちに帰れば全く彼女の会話は、不平不満しかなかった。

誰かに「どうして欲しい」とは言わないで不平不満を愚痴って「誰か動いてくれないかな」を遠回しにとにかく狙う。

もちろん無視していると、すごい図々しいことをはっきり要求してくることもあった。

やっぱりそうか、と思って私は聞かぬ振りで逃げていたが、心理テストの回答結果を確かめて去る、って感じだった。


申し訳ないけどいつも面倒くさいなあと思っていた。
結局目標がただのこだわりやワガママでしか無いんだこういう人は。

あれしてこれしては、面倒なら止めたらいいじゃん、っていうことばかりだったし、
お外で奴隷する姿観てたら、自分でできるだろ、って思っちゃう。
末には自然に虐待。 

ほんと、この人なにしているのかなあ、です。
私、あなたのママじゃないのよ、です。

でも当人は「常識では」とか、なんとか自分を正当化しようと頑張ったりする。



この日の料理教室のひとも「お水持ってきてくれないかなあ」などと延々言っていたが、係員を捕まえてやればいいのに、テーブルで誰かが動くのを重い体を椅子に沈めて待っている。

みんな途中で「自分でやれば」って感じになり、最後は聞かぬふりに全員転じていた。



こうやって地道に人の親切とか弱みを突いて、何かをやってもらおう、わがままを聞いてもらおうと頑張ってくる依存症の人種はいる。

基本は貧しい。飢えているから奪うことに罪悪感はなく出来る。
最終的には寂しいのと一人で頑張っちゃったトラウマを埋めるために頑張っている。

それはいつも言う通り、社会でやると嫌われるし、家族内でも度を越せばNGです。


甘えた人か、甘えられなかった人か。

こういう人は世の中には多い。




怪我をした人に手を貸してやりたいのは山々だが、わざと傷の場所とかを見せて突っ立って待っていられると「看護婦じゃないしな」とか思う一般人と同じで、

不平不満を場をわきまえずとにかく言ってみて何かを動かしたり奪おうとする、みたいな人は、ただの迷惑でしか無いのでスルーする。



私は「これからあんたの不満だらけのメニューを楽しみにして食べるんだけどな、食欲萎えるようなことしないでくれる?」って思ってたと思う。

メニューは想像以上に美味しかったのだが、ずっと「辛いものは駄目」な理由とか、そういうのを依存症的に言い続ける人からは逃れられない。会話に付き合う理由が見当たらない。でも聞こえてしまう。それこそ「逃げ場がなかった」。





風邪を引く時「どうすることも出来ない」と強く感じると引くんだそうだが、

直近で風邪を引いたのは、情報デトックスを促されたときと、酷いうつの人に遭遇したあとです。

幼少の子供が両親の喧嘩あとに風邪になる、っていうのと一緒で、

「私じゃ手に負えない」と私の脳は結果を出したのだろう。

だって、彼女のクレーマー行動的「不満ぶちまけ依存症」は何十年も家庭と社会で育まれたものなのだ。






本当に手厳しい場に向かわされているなと思う。


今月の私のテーマカードは「真実の愛」。




これは、夫がありながらも、本当に好きな人を諦めなかった女神のカードだが、

厳しい人種にまみれながらも、レシピが知りたい、学びたい、という気持ちで向かって諦めない、という感じで出ているのか?とか思う(笑)

「SEE ONLY LOVE」(愛だけを見て)ですね。





「意図」というのを考えさせられる。

この間はそもそも料理が好きでもない人が頑張ろうとしている=意図があいまい、みたいな感じのひとを学んだし、

今回の田舎のヤンキーはただの寂しい人みたいなので、意図もなにもないみたいなひとだが、

「一つでもなにか興味を持てたり楽しめたりしたらいい」という、フィギュアの山田満知子コーチみたいなひとにこの人達は出逢ったことがないんだろうな、と思いました。





「少しでも好きなことを見つけて、努力していく」とか
「どうしても好きになれないものは自己努力とかを完全に諦めた方向から努力する」
みたいなことが欠けている気がしました。


意欲を奪っていくことはこの社会多いのだけど、それこそ「負けちゃいかん」。
虐待されてても本は読んでたし、私はだから生き抜けている。

休息は大事だし休んでもいいんですけど、何かを探すのを諦めたら終わりです。




例えば、料理が駄目ならお手伝いを雇って、外で働いたら?なんて、オーラの泉でも美輪さんはいっていたけど、そういうのって大切だと思うーーーー。


もういっぱいいっぱいなことは、全部手放すしか無いっていうこと。


そういうのを「社会では普通」「他の人はこうやって回避している」
って逃げたり誰かに甘えたり他人に迷惑かけて、悪しき慣習を繰り返しやり過ごそうとしている人は多い。

こういう無理が、社会の毒なんだ。そう思う。






私は厳しさの中に、自分の意図がはっきりしていいのですが、


寂しさに振り回される人とか、
社会的な「こうでなくては」に振り回される人、

大人の女の集まる場は、ホント「不幸のるつぼ」です。



・・・話は変わるけど、不平不満女の周りにそう言えばずっと蚊がつきまとってて、・・「虫刺され」の心因と一致するので、わかりやすいなあと思っていました。

虫もまた、天使のサインですーー。

毒だらけな体に、虫がたかるのですね。




もう一回だけ外せないメニューが有るので向かう予定ですが、

エネルギーシールディングをもう少し研究して向かいたいと思ってます(が、心閉じてしまうと、学ぶ場は厳しいのよね・・・全部閉じて学べない!)(笑)

欲しくて好きなものがはっきりしているからそこに迷いはない。

「焼きナスのカレー」、薬膳的にもいいですよ♪





・・・・風邪の「心因」ですが、

「風邪は寒いと引く」みたいな「集団催眠(社会催眠)的無意識」から引くものと、

今回の私のように、「どうすることもできん」みたいな感情を抱く場面に遭遇すると引くようです。この場合は「勝手にしろ!」と心で繰り返すぐらいの強気がいいかもしれません。慈悲とか、解決を狙う心が駄目なんだって!

いつか実験してみます(笑)でもネガエネルギーには基本内から「発する」ことだもんね。

そんな感じです。快適な秋を。ではでは!