最近映画を観過ぎている。
ちょっといい加減にしたい、と思っているが、
「タランティーノは生涯10本でやめると決めている」らしい、という噂を耳にして、
「劇場でタランティーノを観る」はもう限られているな、と思い、
「有名監督ならではの、すごいダブル主演」がインパクト十分、な映画に足を運んだ。
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」です。
一般的な映画一本は1.5~2時間だと思いますが、160分、有るこの映画。
主役の人々の演技を楽しんでいたらあっという間だったが、
色々と考えさせられる映画でした。
私が結局、大人の女性のケアをしたい、と思って仕事しているのは、
それが世の中の酷い犯罪を減らすことに繋がる一番早いことだと思っているからなのですが、
「ワンハリ(って若者が呼んでいるらしいこの映画)」は、映画を好きな人なら誰でも知っている、シャロン・テート事件を描いたものだ。
ロマン・ポランスキー監督と結婚していた妊娠8ヶ月のシャロンが、個人的恨みとか全く関係のない形で、ヒッピーとか宗教がらみの人々に家を襲われ、殺された事件。
ヒッピー役の人間が、襲撃前に言うセリフがあります。
「私達の子供時代は、殺す場面が出てくるようなTVしかやっていなかった!」と。
「殺すようなことを容認するようなTVばかりやって、死ぬほど儲けた奴らが、ぬくぬくと贅沢ぐらししやがって!」と。
すごく、わかります。
いくら正義のためとは言え、私も子どもたちが戦うゲーム、痛めつけて殺すゲームを孤独な顔でやっているのを観ると(子どもたちは、外でゲームしたりしてますよね・・・心が痛む)、なんとも言えない気分になるいつも。
殺人シーンの必ず出てくるドラマは毎日欠かさず放映されている。
放課後、と呼ばれる時間に。
TVは怖い。毎日の習慣として、なんとなく誰かを犠牲にするとか、恨みに走るとか、戦争とかいうのを子供が受け入れていくって事が起きる。
・・・育てるのは真心とか優しさとかじゃないのかな?、とか思ってしまう。
面倒だから放置しておいて、
子供が「ゲームクリエイターになりたい」「アニメーターになりたい」なんていうと、
「お前馬鹿か」「今の子供はほんとしょうもない」などという母親と同席したことがあるが、こういうひとこそ、「影の犯罪の主犯格」、だといつも思う。
しかしそういう子どもたちが、逆恨みで、無差別殺人や犯罪に走っても仕方がないなあ、とも、TVのいろんな事件を観て思います。
結局、そういうことをやった時点で、「影の主犯格」以下、になってしまいますから。
常に常に、悪霊(不純な心の大人・・)を除去しながら諦めないで静かに改善を狙っていく、っていうのが大事なんだと思う。
「あの人も可哀想な大人」なんて、毒親の言いなりになっている人は注意したほうがいいと思います。私はこういう人間がキレたときが一番危ないと思ってます。
映画「ワンハリ」では結局、監督が大好きなやり方で、「不要!」な人や感情の象徴は抹殺される。
ひゃーーー
っとその残酷さに、感じる人もいるかも知れないです。
そんなこんなで160分を過ごして、思い出したことは、
ロマン・ポランスキー、といえば、性的虐待で騒がれた監督、であり、
シャロンの友人として出てくる青年の役は、私の大好きな「スピードレーサー」の主演で知られ、暴力事件などで収監、騒がれたエミール・ハーシュが出ていたことだった。
ポランスキーはポーランド人で、あのユダヤ人虐殺などを身近で体験したひとだ。
だからといって、性的虐待、セクハラをして良いのか、というと絶対駄目だと思う。
日本では、エミール・ハーシュみたいな人が復活するというのは難しい。
「ピエール瀧事件」のとき、「ハリウッドは麻薬や犯罪者の復活に寛容だ」などと言われていたが、私はそういうのもどうかな、とも思ったことが有る。
しかし、今回の映画を観たあと、ただただ監督が罪人を責め立てているのではなく、
シャロン・テート事件を描いたことや、エミール・ハーシュの起用に、
いろいろあるよね、でも駄目だよ、というようなことを静かに伝えていたような気がします。
そんなに人生、ウハウハばっかりじゃないのは、金銭事情に関係しないと思います。
SNSとかで「成功しました」っていう自慢をしている人は多いし、いいことしか書かない人だらけだけど、
そういうの全部信じて恨むのは、孤独に拠る名誉欲や見識の浅さを突かれているだけだと思います。ああいうの、ほとんど嘘だと思います~~
私が犯罪、を思うとき思い出すのは、有名女優が子供をハードに教育した上に、
その子供が同級生を牛耳ってストレス解消とばかりいじめを行い、
標的となったとある女性が「売春」をさせられていた、というエグい事件だ。
この被害女性は確か高校生だったと記憶する。
もう何度もここでも書いてますね。
・・・この、社会全体の仕組みと、大人の女性に対する、「犯罪主犯格」という意識の薄さよ!・・・です。
ご本人が直接犯罪に手を出したわけではなく、その有名女優さんはすごいスポンサーを抱えていたため、損益が半端なかったのだろう、もみ消されて、TVのワイドショーなんかには一切出ることはなかった。
ちなみにその事件の後もハードな教育は諦めずに行われていたらしく、地位と名誉につながる試験をその娘さんは最終的に受験して落選とか聞きましたね・・・・懲りないよね・・・
「サスペリア2」でも描かれていたような、「母親という巨大権力」が一番怖い、という話ですが、
大人の女性ご本人がまったく「無意識」に、子供を追い込んだり、
学校ではすぐに成績が悪い子供を「生贄」のようにして、いじめ抜いて、他の子供を強制的に誘導する、というようなことが、教師の「無意識的行為」として行われていたり。
世の中には、そういう「無意識に悪霊に取りつかれて生きている」っていう人は本当に多い気がします。
なお、その比率はスピ界でも、自然療法愛好者の中でも変わらない気がしています。
私はただただ、何かに気づいてケアに来る人達を迎え、その力に静かな戦いを挑んでいます。
なぜ、シャロン・テート事件を起こしたような子どもたちが育ったのか。
それは私達女性が生み育てることについて、何かが足りていない、
ということなのではないでしょうか。
今も、シャロン・テート事件以上のことはそこら中で起きている。
その加害者は私達女性が産んだのであり、
よそはよそ、私はちゃんとやっている!
みたいな人もいるかも知れませんが、
逆にこういう人こそが、何かひどい結果をまねかなければよいがと思っています。
地球上の大切なものを守り、犯罪のエネルギーを育てないために、まず、自分をケアし続けていくことだと思います。
自分自身の体面や利益に生きないで、ブラピやレオ様みたいに、よれよれになりながらもまっとうに生き延びることだと思います。
これって、誰かを犠牲にしながら安全に生きるより大事なことだと思います。
「女は弱い、世間でも不利だ」などと言う人こそが、犯罪者の元となるケースというのは、虐待の裁判なんかを観ても明らかだ。
大人の女は、最大の権力者だということを、・・・もっと知ってほしいなあといつも感じています。
長くなりました。ではでは。
(しばらく映画館からは離れる季節がやってきた。)
ちょっといい加減にしたい、と思っているが、
「タランティーノは生涯10本でやめると決めている」らしい、という噂を耳にして、
「劇場でタランティーノを観る」はもう限られているな、と思い、
「有名監督ならではの、すごいダブル主演」がインパクト十分、な映画に足を運んだ。
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」です。
一般的な映画一本は1.5~2時間だと思いますが、160分、有るこの映画。
主役の人々の演技を楽しんでいたらあっという間だったが、
色々と考えさせられる映画でした。
私が結局、大人の女性のケアをしたい、と思って仕事しているのは、
それが世の中の酷い犯罪を減らすことに繋がる一番早いことだと思っているからなのですが、
「ワンハリ(って若者が呼んでいるらしいこの映画)」は、映画を好きな人なら誰でも知っている、シャロン・テート事件を描いたものだ。
ロマン・ポランスキー監督と結婚していた妊娠8ヶ月のシャロンが、個人的恨みとか全く関係のない形で、ヒッピーとか宗教がらみの人々に家を襲われ、殺された事件。
ヒッピー役の人間が、襲撃前に言うセリフがあります。
「私達の子供時代は、殺す場面が出てくるようなTVしかやっていなかった!」と。
「殺すようなことを容認するようなTVばかりやって、死ぬほど儲けた奴らが、ぬくぬくと贅沢ぐらししやがって!」と。
すごく、わかります。
いくら正義のためとは言え、私も子どもたちが戦うゲーム、痛めつけて殺すゲームを孤独な顔でやっているのを観ると(子どもたちは、外でゲームしたりしてますよね・・・心が痛む)、なんとも言えない気分になるいつも。
殺人シーンの必ず出てくるドラマは毎日欠かさず放映されている。
放課後、と呼ばれる時間に。
TVは怖い。毎日の習慣として、なんとなく誰かを犠牲にするとか、恨みに走るとか、戦争とかいうのを子供が受け入れていくって事が起きる。
・・・育てるのは真心とか優しさとかじゃないのかな?、とか思ってしまう。
面倒だから放置しておいて、
子供が「ゲームクリエイターになりたい」「アニメーターになりたい」なんていうと、
「お前馬鹿か」「今の子供はほんとしょうもない」などという母親と同席したことがあるが、こういうひとこそ、「影の犯罪の主犯格」、だといつも思う。
しかしそういう子どもたちが、逆恨みで、無差別殺人や犯罪に走っても仕方がないなあ、とも、TVのいろんな事件を観て思います。
結局、そういうことをやった時点で、「影の主犯格」以下、になってしまいますから。
常に常に、悪霊(不純な心の大人・・)を除去しながら諦めないで静かに改善を狙っていく、っていうのが大事なんだと思う。
「あの人も可哀想な大人」なんて、毒親の言いなりになっている人は注意したほうがいいと思います。私はこういう人間がキレたときが一番危ないと思ってます。
映画「ワンハリ」では結局、監督が大好きなやり方で、「不要!」な人や感情の象徴は抹殺される。
ひゃーーー
っとその残酷さに、感じる人もいるかも知れないです。
そんなこんなで160分を過ごして、思い出したことは、
ロマン・ポランスキー、といえば、性的虐待で騒がれた監督、であり、
シャロンの友人として出てくる青年の役は、私の大好きな「スピードレーサー」の主演で知られ、暴力事件などで収監、騒がれたエミール・ハーシュが出ていたことだった。
ポランスキーはポーランド人で、あのユダヤ人虐殺などを身近で体験したひとだ。
だからといって、性的虐待、セクハラをして良いのか、というと絶対駄目だと思う。
日本では、エミール・ハーシュみたいな人が復活するというのは難しい。
「ピエール瀧事件」のとき、「ハリウッドは麻薬や犯罪者の復活に寛容だ」などと言われていたが、私はそういうのもどうかな、とも思ったことが有る。
しかし、今回の映画を観たあと、ただただ監督が罪人を責め立てているのではなく、
シャロン・テート事件を描いたことや、エミール・ハーシュの起用に、
いろいろあるよね、でも駄目だよ、というようなことを静かに伝えていたような気がします。
そんなに人生、ウハウハばっかりじゃないのは、金銭事情に関係しないと思います。
SNSとかで「成功しました」っていう自慢をしている人は多いし、いいことしか書かない人だらけだけど、
そういうの全部信じて恨むのは、孤独に拠る名誉欲や見識の浅さを突かれているだけだと思います。ああいうの、ほとんど嘘だと思います~~
私が犯罪、を思うとき思い出すのは、有名女優が子供をハードに教育した上に、
その子供が同級生を牛耳ってストレス解消とばかりいじめを行い、
標的となったとある女性が「売春」をさせられていた、というエグい事件だ。
この被害女性は確か高校生だったと記憶する。
もう何度もここでも書いてますね。
・・・この、社会全体の仕組みと、大人の女性に対する、「犯罪主犯格」という意識の薄さよ!・・・です。
ご本人が直接犯罪に手を出したわけではなく、その有名女優さんはすごいスポンサーを抱えていたため、損益が半端なかったのだろう、もみ消されて、TVのワイドショーなんかには一切出ることはなかった。
ちなみにその事件の後もハードな教育は諦めずに行われていたらしく、地位と名誉につながる試験をその娘さんは最終的に受験して落選とか聞きましたね・・・・懲りないよね・・・
「サスペリア2」でも描かれていたような、「母親という巨大権力」が一番怖い、という話ですが、
大人の女性ご本人がまったく「無意識」に、子供を追い込んだり、
学校ではすぐに成績が悪い子供を「生贄」のようにして、いじめ抜いて、他の子供を強制的に誘導する、というようなことが、教師の「無意識的行為」として行われていたり。
世の中には、そういう「無意識に悪霊に取りつかれて生きている」っていう人は本当に多い気がします。
なお、その比率はスピ界でも、自然療法愛好者の中でも変わらない気がしています。
私はただただ、何かに気づいてケアに来る人達を迎え、その力に静かな戦いを挑んでいます。
なぜ、シャロン・テート事件を起こしたような子どもたちが育ったのか。
それは私達女性が生み育てることについて、何かが足りていない、
ということなのではないでしょうか。
今も、シャロン・テート事件以上のことはそこら中で起きている。
その加害者は私達女性が産んだのであり、
よそはよそ、私はちゃんとやっている!
みたいな人もいるかも知れませんが、
逆にこういう人こそが、何かひどい結果をまねかなければよいがと思っています。
地球上の大切なものを守り、犯罪のエネルギーを育てないために、まず、自分をケアし続けていくことだと思います。
自分自身の体面や利益に生きないで、ブラピやレオ様みたいに、よれよれになりながらもまっとうに生き延びることだと思います。
これって、誰かを犠牲にしながら安全に生きるより大事なことだと思います。
「女は弱い、世間でも不利だ」などと言う人こそが、犯罪者の元となるケースというのは、虐待の裁判なんかを観ても明らかだ。
大人の女は、最大の権力者だということを、・・・もっと知ってほしいなあといつも感じています。
長くなりました。ではでは。
(しばらく映画館からは離れる季節がやってきた。)