(平成最後の日は、上江洲先生の光話を。
ドクターウエズの笑顔は凄い。
トランスパーソナルが基本に満ちている魂の輝き。
当日は嵐のような天気だったが、終了後は晴れた。
厄落としにはもってこいでした♪)
(過食改善WS情報はまた次回~~只今構成中(汗~~))
腸も肺もどこに言っても「あんまり良くない」と言われる私は、
最近小麦を食べることが嫌になってしまった。
小麦寄りだった人生の前半戦があるので、
もういいか、という感じも有って、ほぼグルフリ生活なのですが
味噌煮込み、とかほうとう、が食べたくなって
先日代替になると聞いて、太麺のフォーを購入した。
味噌煮込みは現地人だから、どんな味付けか分かる。
いい岡崎の味噌屋も分かる。
ほうとう、に迷った。
20代のはじめっころ、小淵沢で働いていたことがある。
ほうとう、を知る所以、です。
現地で食べたほうとうは断然、味噌味が美味しかったのだが、
その味噌が思い出せない。
ほうとうには、味噌味も醤油味も有って、
具もお好みだが、かぼちゃがないときは作りたくならない。
こんなときはネット検索、
「ほうとうで使う味噌は、甘口?辛口?」的なキーワードで調べると、
やっぱりあの「使えない質問サイト」の「返答になってない返答」が出てくる。
(基本、あのサイトの返答者の目的は「孤独を紛らわす」だから仕方がないのだけど。)
「味噌は、【普通の味噌】ですよ、なんでもいい」
「醤油味もありますから」
う~ん、返答になってない!
日本には津々浦々、全国に、様々な個性を持った味噌がある。
西京と八丁味噌が対極で、すぐ近くの信州もまた「辛口の白」として個性があるし、
九州は麦が欠かせないし、東北は八丁味噌のような色の甘口もあるはず。
どんな味噌でつくっても「ほうとう」になるか?
というと、例えば西京や八丁ではならない気がする。
こういうことを知らない人が、【普通の味噌でいい・・】、
【醤油で作っても・・・】などと言う返答をするのだろう。
今日は、「ほうとう」について、味噌について語りたいのではない。
これらは「例えば」、の話だ。
我々の多くは幼少の頃、「眼の前にあるもの」を「この世の殆ど」で「普通」だと思い、
その「価値観」や「観念」のまま、大人になっていて、
たくさん見てみる、とか、
「全体像」に近いものを捉えてから、自分の観てきたものを省みてみるとか、
「俯瞰で物事を見てから、判断し、選ぶ」みたいなことが、凄く出来ていない、ということ。
(子供の自殺の多くはこんな感じの基本的な原因があるでしょう・・)
こういうことが、人生全般や、生活全般への観念を作るときに、満ち満ちている、
ということを、我々はもっと、知るべきではないかと思う。
自分が【普通】ということは
【個性的な観念】でしか無い
のだと思う。
誰かが言った【普通の味噌】なんていうのは、この世には存在しない、ですね。
その人が、【普通】だと思っている
周囲の大人が【普通】としてたもの
ということでしかないのです。
例えば私の学生時代@岐阜、寮の食事はずっといわゆる「赤みそ」(≒八丁味噌)のお味噌汁で、
生徒には滋賀県人も多かったのだが、
滋賀は全く味噌の文化が違うようだし、私の生誕地・中津川にも、岐阜市や名古屋近辺の「赤みそ文化」はなかった。
ある日とある生徒が、年1の「寮食会議」で
「トンカツに赤みそが最初からかかっているのが理解できない。
トンカツはソースで食べる」
ということを初めて言ったために、
トンカツにはじめから味噌がかかって提供されることはなくなり、
味噌汁も信州系の味噌が使われる日が出てきたのだったが、
こういうことは、世の中にはいっぱいある!
例えば、「知らないうちから、親の支払いを、私のバイト代で支払っていました」
という人は、延々と、訳のわからない支払いが親から回ってきていても、支払い続けている、みたいなことを「普通」だとなんとなく続けていたりする。
「常識だと思われている」”その家だけ”の、細かな習慣、なんていっぱい有ったりする。
結婚したり、寮生活したり、新しい会社に入って分かる「個性的・行動習慣」。
それだけにとどまらなくて、今あなたが「人道的・道徳的、社会的一般常識」なんて思っているものを友人に「初めて聞いた」って言われたら?
人生の隅々に至るまで、
「そのお家での、【普通】」
【幼少期の生活が
その人の普通を作っている】
ということは多い。
そういう【一般的な普通ではなく、実は個人的な偏り・習慣・依存症】
を、
どーーーーーーんと、催眠である日、自分で「片鱗」を観て、
びっくりされる人が、時々いる。
「無知の知」、って言うのに似ているだろうか。
主に、若い人で、自分を殺しやすい大人な星座に多い。
「自分なんてなくて、周りの人が求めてくるワタシをすることだけの人生」
という感じの人に多い。(このことにも初めて気づくことも・・・)
自分なんてなくて、
いつも決められていた、
対話自体がほぼない、
【周りの大人と親の普通】で行動は決まっていた、
「選択肢があることすら知らなかった」。
そういう人が、他の価値観を知り、【幼少期の本心】を催眠で知ると、
一時的なショックを受けることもある。
もちろん、「知らないより知ったほうがいい」から、神様が知らせるのですけど、
「あなたは実は奴隷だったのよ」ということを知らされたような気分になるかもしれません。
大人の支配が大きい不自由な家庭で育つと、こういう事が起きる時がある。
不自由な、ということすら、そのときに気づくのですが。
・・・こういうひと、アースエンジェルじゃなくても、繊細な今の子供には多いかも?
味噌の話にすれば、「他にも味噌はたくさんある」という概念を初めて知った、
という感じかもしれない。
これは私の体験談ですが
15、6歳ぐらいの時、洋服屋の大きな鏡で「自分」を観た時、ショックを受けたことが有った。
「これが私だったか!」に近い感情を、とある洋服屋で抱いたことが有った。
考えてみると、私のうちは、びっくりするぐらい鏡がない家だったのです。
母親は女捨て気味だったし、他の家族も性的な魅力はなく、普段服装にも気を使わない。
鏡など必要ではなかった。それが我が家の【普通】だった。
しかし私は洋服が好きだったから、ある日外の世界のでかい鏡に出会って、ショックを受けた。
私はそれまで「客観的な」外見を、よく見たこともなかった!
ということです。
自分の【普通】を作っているものがなんであったか、ということを知るのは、大変なことだ。
相手と親しくなり、プライベートにある日突然紛れ込むような体験や、
ふらり飛び込んだ先で気づいてしまうことはあるけど、
おおよそ【自分的普通】などというものには、出会えない事が多い。
流れるように完全に日常のベースになっているからだ。
大きな困難がやってきて、自分ではどうすることも出来ない、みたいなことに出会って初めて、
自分の【普通】が【偏った欲望】だったかもしれない!
などと気づいたりするものです。
30代ぐらいの女の人は、こういうことが多い気がします。
「誕生日占い」の本の「人生の節目」の年齢は、多くが20代後半だ。
女の30代の多くは「人間学校」初等科へ入学した感じではないか?
【本質的な命・人生】を知るって、
・・・世の中にはいろいろな味噌が有って、その味噌こそがその料理には重要である、
ということがある、
些細な作り方や素材の違いなんかが、重要なことだったりする、
その中から自分が本当に好きな味噌を選んでいい、もしくは、
味噌を摂らなくてもいい人生がある、
みたいなことに気づける、いい機会だと思うのです。
できるだけ多くを見て、今までの自分を俯瞰して、自分の選択する。
これが【自由を知る】、ということ!
【本当の人生の価値】は、細かい人でないと味わえない気がします。
厳しい人生を歩んでいる人は、そういう人だと思います!
(早く自由の大きな枠に出会えるといいですね!)
「厳しい人生だなあ」というひとは、大志がある人だと思う。
世の中の面倒を、解決するための才能があるから、そんな人生なのだ。
よくある形の多い人生で、安全でした、なんて、本当にあるのかな?とも思いますし。。。
でも、一般的な「世の中の評判」よりも、魂的に学んでいることは価値の高いことかも。そういう人生の人。
ちなみに、ほうとう、には地元民が作る、麦と米麹を使った地味噌、合わせ味噌色の「甲州味噌」、というそれを使うのがいわゆる王道の「ほうとう」っぽくなるような話だが、
私がわずかな記憶を頼りに作ったほうとうは、やはり熟成の進んだ麦味噌と、信州味噌を混ぜて作ったものだった。
合わせ系の色で少し甘いのが思い出の味かもしれない。私的【ほうとう】の【普通】。
「良い記憶」というのは、実は細胞は覚えているものだが、良い記憶は忘れやすいというのも事実。 基本「リベンジ」のための記憶が優先の脳、です、人間は。
良い記憶は上手く出来た料理のレシピのように忘れる。「溶け込んでしまう」。
自分、っていうものに。
あなたの【普通】は、楽しい価値観、に基づいているだろうか?
自分の【普通】が苦痛で、【誰かのエゴに満ちているもの】だと気づく日が来るかもしれない。
そういうことも、人生にはある。
でも気づいたらいつか楽になれます。
苦しい人に、早く「自分の求める、好きな味噌」がわかる日が訪れますように!
・・・・ではでは!