(カリフラワー様。花野菜に豆腐マヨ、最強です。)

 

 

 

 

 

 

 

何年か前に同じタイトルで書いたものを改めて書き直しています。

 

 

 

 

 

私が書いたブログはたくさんありますが

このタイトルを忘れることはありません。

 

なぜならこのタイトルは、

【日々の生活の中で繰り返しつぶやく言葉】だからです。

 

 

 

 

 

 

 

 

中年期、大きな困難を経験したり、同じ失敗を繰り返したり、

私はそういう人の相談を聞くことが最も多いのですが

 

 

悩みの自己原因分析の中で

「どうしても気になって思い出すこと」のトップが

 

「親との幼少期の関係性やなんとなく微妙な、嫌な思い出」

 

なことが多いわけですが

 

 

 

 

ほとんどの人が

「親は悪くない」とか

「幼少期の環境は変えられなかったから今更仕方がない」

 

と「理解しよう」もしくは「流そう」とします。

 

・・・

 

 

 

私自身も親との微妙な幼少期や関係性に気づき

 

私の場合は怒り狂って、体調を微妙に壊した後

催眠で出した本心は

 

やっぱり「親自身は悪くない」、といったものでしたが

 

 

 

「親自身は悪くない」、と本心の判断を知った途端に

 

 

・・・・いやいや、

 

「親自身は悪くない」けど

 

「親が信じて従っていた外部からの安易な情報」はイカン、

 

 

親自身がおかしい人で、だまされているのなら仕方がないが

 

親自身が悪くないのに、変な情報洗脳に気づかないことを

 

子どもの私が「騙されてないし間違ってないよ」などと

見て見ぬふりしたり、黙って親に従うみたいなことは

 

親自身の魂の成長を止め、我欲を育て、改悪に賛成することだ、・・・・

 

と思ったのは事実ですし、

 

今もこの判断は正しい、と思っています。

 

 

だから、彼らの理解も流すことも結果しませんでした。

しなくていい、それが正解だと思ったからです。

 

 

 

 

 

 

 

「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がありますが

 

私はすべての人の迷惑行為や、いやだなあと思うことの全てに

この言葉は当てはまると思う。

 

 

 

 

 

迷惑行為を感じるとき、人はまるで世界で最悪の獣のようです。

 

 

これをスピの一部の人は「動物霊の憑依」だという人もいますが

 

・・・目つきが変わって、堂々と図々しい行為を

飢えた動物が獲物を見つけて食らいつくような勢いで始めるような

 

そんな表情や行為を

親や、色んな人の姿に見たときや、

 

自分の過食依存症を感じたときに、

 

「まるで悪霊憑依みたいだな」

 

と感じたのは確かで

 

 

 

「人自身が悪いのではなく、

その人が信じてしまった

情報が

悪霊憑依みたいに

迷惑行為の源と

なっていることに

嫌悪し

同意が出来ないのだ」

 

というのがいつも思うことです。

 

 

 

それで・・・・

 

親や義父母、結婚相手、子供や色んな人とトラブルがある、

悩んで苦しんでいる人には言いたい。

 

 

 

よく、問題があるときは「手放せ」とか「許せ」って言いますが

 

Let Go も 

Forgive も

 

私は必要ないし

 

例えば母親が悪いとか悪かったとか、逆に悪くない・・・

 

みたいな個人の評価・判断も「必要ない」と思っています。

 

 

 

 

誰かが悪いと思えば変えたいとか、

憎しみや怒りが止まらなくなる。

 

逆に誰かが悪くないと思えば思うほど

幼少期の辛かったことが忘れられないで

自己の中で葛藤が止まらなくなる。

 

 

でも私は前述したとおり

「人は悪くない」ことがほとんどだと思います。

 

 

つまりトラブルや困難の原因は「誰か自身」ではない。

 

各人の「信じたこと・噂話や情報」が罪を作ったことがほとんどではないかと。

 

 

 

「人」ではなく「各人の信じた情報」が結果を生んだ

 

 

というところをきちんと理解し、

 

 

・情報を信じる・信じないは各人の自由

・あらゆる情報源は人を不幸にするために流れているわけではない、


それを信じ従い、どのように使ったかは、

それぞれ各人全責任を負う

 

ということを理解し、

 

・他の人の信じている情報→行動が迷惑に感じたり

迷惑行為を生んでいたり

自分は不快に感じて、信じられない

 

のならば

 

その「人は悪くない」けれど

 

「あなたの信じる

(悪霊のような)【情報】

は嫌いです、

 

信じません」

 


はっきりNOを言い

離れることが、

 

各人、必要なのではないかと思うのです。

 

 

 

先日「人生のシンプル4」の話をしましたが

 

その中にも「幸せに親しんで学んで、悲しみに憐れみ、困難からは離れる」

 

という話がありましたが

 

自分が心から楽しいと感じられないもの→困難、に対しては

離れるだけでいいのだと思います。

 

 

変なまことしやかな情報を信じて調子に乗って

子供を痛めつけたり傷つけたりしている親はいっぱいいます、


悲しいことですが

 

人らしく子供や誰かを愛でることも出来ない人は

怒って恨んで変えたくなるは無駄、

 

ご本人たちが「変わる」ことしかできません、

 

そのような悲しい人からは、憐れんで離れてしまうことです。

 

 


&様々な、自分自身が設定している考え方の枠組み、にも気づくこと。

 

そして、どうしても不快ならば

世間が何と言おうと枠をぶっ壊して行動してください。


 

同居してます、ローン払ってます、でも義母がどうしても無理


ならば

 

別のマンション借りて、自分が働いてでも引っ越す

 

・・・ぐらいの覚悟で話し合い離れることだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

「シンプル4」には圧倒的な「自由意思の尊重」がベースに有ると思う。

 

 

私はこの

個人の最大の基本的権利自由意思の尊重、は凄く大事なことだと思っています。

 

 

何かを選んで、行う、

 

そこに情報に流されたもへったくれもない、

自分で全責任を取って生きなさい

 

その大切さを理解することこそが生きる上ですごく重要で

 

選択を誰かにさせるとかしたときに、

変な恨みや怒りや問題行動やトラブルが起きるんですよね。

 

 

でも恐れて生きている人ほど、選択を世間の人に任せる傾向にあって

情報に踊らされて、変な身の程知らずな行動をしてしまったりしている気がします。

 

 

 

・・・けど

 

 

でもこのブログを読んでくれた人にはシンプルに


 そんな雑な判断で生きる他人の行動が嫌に感じたら

 

【私はあなたの【悪霊(のような、信じている情報)が嫌い】

 

でただ【離れる】ことをお勧めします。

 

 

恐れて脅されるように変な情報を信じて

間違う権利も各人平等にあると思います。


自由にさせてあげればいいだけです。

 

 

 

これ=不快に感じたら離れる、が出来ないで苦しむ人は、

強い孤独記憶がある人だと思いますので

 

催眠で癒してみてはいかがでしょうかというのが私の経験値です。

 

 

 

 

ながくなりましたが、一年に一度はこの話を繰り返す感じです。

 

大事なことです。

 

 

怒りや葛藤、非難、妬み、他人を変えようとする欲に走る、


とやるのも自由だが、

 

楽しいことや幸せに学ぶ時間を奪われることに繋がる


というのを


どうか忘れないように!

 

 

(↑こんな人、いっぱい見るんですよね・・・・か、悲しい。)





(P.S.・・・まあ基本的に、恐れて生きてて、変な情報簡単に信じてしまう人が悪いと言えば悪いが、改善する可能性も絶対有る、


といったところが脳深部の意見、純粋性の語るところみたいです。それを離れて見守る間は自分が楽しむことですね。)



ではでは。