昨日、夜ゆったりついでにTVをつけたら

「アルプスの少女ハイジ ・ダイジェスト版」

がやっていた。

 

 

小さい頃は、ほのぼのと、ヨーロッパ魂満たすために、ただただ見ていたのでしょうね(笑)

 

 

大人になって、アダルトな目でみると、あっというまに、物語が変わる。

 

「なんでクララ、立てない??」

とか、すぐ思っちゃうんです。 

 

心と体、のお仕事をしているでしょう??

すぐ、なんです。 

体が心を語っていることは、わかりやすい。

 

占いより、すごい。

 

 

 

そんなことをぱっと思いついた途端、

アルムの山の上で静養中のクララとハイジのもとに、

 

クララの 「おばあちゃん」と 「おとうさん」が来るという手紙が!

 

 

「こりゃ、クララ、お母さんいない設定だね?

・・・・ってことは、クララの足は、”おかあさんショック”だ。」

って、

すぐに私は思いました。(やはりそういう設定)

 

 

 

専門的な用語かどうかわかりませんが、転換性ヒステリーという言葉があります。

 

病気の二次的利益(=深層心理的な目的)

というものなのですが、

 

ほとんどの病気は この 「二次的利益」のために発生している

のですが、

(一次的、は多分、「休息をとる為」です)

 

 

・・・つまり、クララの脚の状態、っていうのは、

 

「おかあさん」を失ったことにより、

 

「ひとりで立てない(自立恐怖、生きていけない)・・・」

 

という、心理を示した

「表現」

なのです。

 

 

 

ママ喪失ショックが、脚に出た、ということですね。

 

 

実は 出産時困難・医療介入 も この二次的利益がほとんど。

 

子供を純粋に好きだとか、子育て楽しみたい!っていう心が弱い状況下などで

 

産んで上手くやれるのか、とか

本当に産みたかったのか、

 

みたいな本音が出て罪悪感を生むとお産は進まない、

痛みが生じ、周りに助けて!を言わざるを得なくなる、

 

で、周囲は色々せざるを得ない。みたいな構図です。

 

夫に「助けて」みたいなこと言えてないとかがあると出るんです。

もしくは世間のよくある人生をやってるだけ、という洗脳が強いとか。

 

 

ですから、

「催眠出産勉強の前に、年齢退行とかでデトックスの方が有意義な気が」

って

 

飯田がいっているのは、こういうことです。

 

 

 

 

話はクララ家の話に戻って・・・

 

&&、一家の太陽=母親、というものを失った家というのは、大変でしょう?

他のお家よりも、「結束」を必要とします。

 

そういうお家では、多くの場合、誰かが重病を発症したりするものです。

 

これは、

 

×「不幸が追ってやってくる」のではなく

◎「家族の再建のためのイベント」

 

として捉えたほうがいい。っていうか、そうだ。

 

イベント、だから、いつか終わります。

本来目指している目的が達成されたならば。

 

クララの脚の病も、

クララ家には 必要だったから起こった

のです。

 

 

 

クララパパは名家のぼっちゃん、貿易商、だそうだけど、忙しそうだもん。

 

クララのママは寂しくて、注目をひきたくて、忘れられたくないから

早く死んだ、とも言えます。

 

結婚しても構って貰えない人が起こしがちなパターンです。

あの、乳がんで早死にした海老蔵夫人もこれだったかと。

 

 

ママのいないクララを ロッテンマイヤーさんに預けて、お家にいない。

 

クララは、彼や大人たちの注目を集めたり、一家の結束を高めるために

脚の病を発症した、

そういえなくもないのですね。

 

クララの、ほんとうの「自立」

のためには

大人たちの愛が必要、って脚がいっているのです。

 

 

 

クララのお家は

お金はあるし、

教育だの、しつけだの、行儀だの、

そんな話ばっかじゃないですか。

 

 

よく、シングル家庭になると、親は子供に「行儀よく」っていうのを強いる傾向がある。

 

シングルだから という差別を逃れるため

という考えらしいけど、

 

実は親のストレス回避天然催眠行動を子供が受けているだけ、

というケースは、多い。そう思う。

 

配偶者が死んだ重圧を、躾と称し子供を従えることでストレス発散

 

みたいなことになっていると、子供にはトラウマが残るかも。

 

 

 

 

・・・全部の大人の都合が合うから

 

パパは悲しみから逃れる→仕事に専念 

&&子育てのプロに任せるという体の良さ

 

・・・みたいなことで、ロッテンマイヤーに任せたんでしょうね。

 

 

 

飯田のところに来る人々の ほとんど が 

「お行儀よく、几帳面に、けちけちと」

っていうことを、

幼少期に強いられた人です。

 

もしくは「大人のやりかたに ただ従うしかなかった」みたいなひとです。

 

地獄です。

 

人間は本来、自由な生き物 なんだから!!

 

 

几帳面っていうのは、褒められる価値観ではないです。

 

几帳面っていわれたら、「細かすぎる、矯正しなさい」って印です。

 

こういう「檻」のなかで、どれぐらいのひとが癌で死んでいるでしょう。

 

 

クララの養育係・ロッテンマイヤーさん、

彼女が一人の戦犯、みたいな感じになってるんだけど

 

 

ロッテンマイヤーさんが言ってるような価値観を、

我々全員が認めているのがいけないのです。

彼女も被害者。

 

ロッテンマイヤー 的価値観はほどほどに 

ハイジ を優先して育てる、

 

ってだけだと思うな。子育ての秘訣。

 

 

・・・そんで、天は、

親がいなくても、超純粋な(私が言う「純粋性」とか「いいインチャ」を体現している)

ハイジをクララの人生に投入!

 

登場!

 

クララに与えた、ということなんだろうなーーー。

 

引き寄せましたね、クララ。

 

 

 

孤独なおんじいも 病気のクララも 純なハイジに癒される。

 

 

 

あの物語は

純粋な自分の内面に触れると 

問題は解決していく

っていうのを

ハイジでやっているんだと思う。

 

 

 

ハイジ、実はみんなの脳の奥に、一人、住んでいます!

(会いに行ってあげて・・・)

 

 

 

 

ハイジのアニメの場面には、山の上の湖、綺麗な険しい山、お花畑、

いっぱい出てくる。

 

 

催眠家で、あのアニメを見て「よくできてるな」って思わない人はいないでしょう。

 

 

お花畑の綺麗な色を見てるだけで、癒されませんか?

 

それは、「清々しい空気」や「いい匂い」が幸せを運んでくることを

我々の脳が 記憶し 反応しているからなのです!

(前世での記憶もあるのです!)

 

画面のイメージだけで、我々の脳が癒される構造になってるから、

ハイジは永遠の人気なのです。

 

 

 

立つ前の、おんじいのクララに対する言葉は、みんなアファメーション、でしたね。

 

目的達成のための「言葉がけ」を、おんじいは、学ばなくったって知っていました。

そういうものなのですね。

 

・・・言葉がけはよくないことにも、使われますけど、

 

心が純な人が言わないと叶わない構造です。

 

自分に言うときも、他人に言うときも、

目先の利益があれば心がザワザワして叶わない。

 

おんじいには、純粋な心があるでしょう?

 

「大人の都合」のアファメーションは、結局病気になったりするだけです。

 

大人の都合=低波動だから、

なんだけど、

 

おんじいもハイジも純な人だから、

ただただクララに立って欲しい、ってだけだから、

 

 

クララは 立った。

です。

 

 

純粋の力、ってやつなのですね。

 

 

 

 

ちなみに・・・・

クララは実は、あの有名なシーンの前にも、

牛に迫られ、びっくりして立ったシーンがあります。

 

 

=催眠状態は「恐怖・驚く・不安」か「リラックス」で入る、ですね。

 

 

ハイジに「クララの馬鹿~~!」って言われて立ったのも、

 

愛するものを失いたくない 恐怖心

があったとも言えます。

 

で 催眠に陥って、潜在能力を発揮、ってやつだと思います。

 

これもね、

「愛も築けてないのに ただただ叱る」

「恐怖をあおってコントロールしようとする」とぐれちゃう。のですね。

 

恐怖心をあおり続けて、行動を強要し続けると、大きな病、とかです。

 

子供をしかる時は、充分の「甘えさせ貯金」を確かめて、です(笑)

 

まあ、虐待は自動的 (催眠状態行動)ですけどね。

 

親になる前に自分が受けた虐待記憶のケアすることですが。

 

 

・・・

 

まあ、催眠でいろいろ癒し続けた私の脳は、有名なシーンのまえから、

必要ないシーンで、ウルウル(笑)

 

催眠に入りやすい、ってやつです(笑)

 

ああいういいアニメが、減りましたなあ。

 

純粋な力の方が、知識より 力 になるのにね。

 

そんなことを感じます。 ではでは。