今や、主要百貨店に行けば必ず出会えるといって過言は無いだろう
「栗きんとん」。
あれで有名な、中津川市の出身である。私。
中学1年の時、いまから28~9年昔、1粒140円に値上がって、「高っ!」ってクラスメートが言ってたのを覚えている。

ファーストフードの出始め、ミスドが中津川駅前の、立地のいい場所にあった。
あった、というのは、バブル関係なく、高度成長期のさなか、潰れたのである。
当時そんなことは、ここでしか、無かったという噂。私も他に聞かない。

凄い街なのだ、中津川。

潰れた店、は皆、バブルの前、全盛ぐらいに活気づいた頃、増えた店ばかりだった。
何でこんな店が続いてんだろう個人店が、続いてる。
代替わりしてるのか、老人がやってんのか。

ちっさいファンヒーターが、「いきいき」と、2万円で売りに出されてて
私はネットで、それより大きいのを半額ぐらいで買ったのを思い出した。びっくりした。

とにかく恐ろしく、変化、しない。そんな店ばかりが、残っている。

若い人たちは、遊ぼうにも場所がない。
喫茶やカフェでデート、も、場所がない。喫茶店は、老人の生活の場。
メニューが凄い。変わらない。

大手チェーン店の居酒屋も、潰れてしまう。個人のいい店も潰れている。
コンビニが、・・・街にない。 無い。
駅のキオスクが、それっぽくなっていただけ。

大きな県道沿いに、たま~に、コンビニはある。それすら、潰れてた。

だからって、畑が多いとか、なんか、有るわけじゃない。

工場だけが、ある。殺風景な。そこに入社するのは、コネが必須。

だから、人々はほぼ、二択に別れて、県外に出る か 息をつめて貧乏に暮らす
・・・コネがあっても、息をひそめる生活。

びっくりするぐらい、「楽しもう」って雰囲気 が 無い。

こんだけ、寒い場所も無いぐらい、凄い。ぞっとするのだ。

バス待ちで、駅のトイレに入る。 
ロータリークラブだかが、整備してくれた、小綺麗なトイレに入ると

可愛いイタズラ 

備え付けのペーパーの一つが、汚物入れの口のところで、斜めに蓋替わりにされていた。
肝心の蓋は、ペーパー置きの棚に、丁寧に置かれてる。

そして、・・・便座の暖房の、コンセントが、
「省エネ」でもなく、
明らかにいたずら で 抜かれていました。

屋外のトイレ、洋式便座が、冷たかったら、 
街の日陰に雪の残る 中津川では拷問に近い

切り替えスイッチみたいなのには、電源が入ってて、通常はそこでコントロールするみたいだが、元を抜いてある。 精いっぱいのいたずら、のようだった。陰湿な、意地悪程度の、行動だった。

それも、本当に、久しぶりに見た、「いたずら」、の姿だった。
・・・・・・寒い。

昔は「不良」という人種が、存在した。
髪を染め 成金に近い色合いの安いださい服を着て 化粧を濃くして 集団で歩く
みたいなひとたち。

単車の免許を取るのが夢で
取ったら 大きな音を出して ささやかに二人乗りとか 違反 迷惑行為を繰り返す
頭の悪そうな人たち。

そういう人たちが、公衆トイレを タバコの灰を落としたりしてめちゃくちゃにマーキングしたりした。 なつかしい。 いまや そういう人種も あまり見ない気がする。

ささやかないたずら

彼らは、結局、大人になると、都会へ出て消息を絶つか
「真面目になった」とか言って、卑屈な笑顔と共に 極貧生活に入って
田舎の 悲しい 静かな生活 に入っていくのだ。

結局、ささやかな抵抗をして・・・

若しくは、何処までも閉じて、単独で行動し、そういう「気に障る」行動を繰り返す、「気がふれた 変わった人」というのも、田舎にはいた。
昔はそういう人も、「外の世界」に、いっぱい、見かけられた。
いまや、そういう人種は、・・・どうなっているのだろうか。精神科の餌食?
都会では、在宅・・・・、なんだろうが

懐かしさなんて、あっという間に、吹き飛んでしまう。
あそこに死んだ叔父といった、とか、叔母とここにいたとか・・・

駅に着いたら ・・・微塵もノスタルジーなどかけらもない

ここにいたら あっという間に 鬱になる

そう思った。
 
怖すぎる・・・  

素晴らしいことに、1時間に特急を含めて3本しかない名古屋行きがすぐそこにいて、電車はすぐに走り出した。

私は ささやかな意地悪やいたずらにも興味を持たず
大人の言うがまま 親孝行などという言葉にも のらず
結婚などという話にも 耳を貸さず
コネで工場で金を稼ぐ話にも縁がなく
楽しいと思ったことだけを 勉強し ひたすら脱出を図り
宗教にも走らず 金にも走らず
家族が死んでも 自殺に走らず

催眠に辿り着いて

リラックスという 永遠の 万物の源に近づいたという話。

ノスタルジーすら居場所のない街。
凍てついた 山奥の町が 名古屋から1時間ほどのところに有る。