以前に「過去に注目し過ぎる」のはよくないよ、という記事を書いた気がしますが

困難、ってやはり意味があるので、

解決した、ばんざーい、さよなら!
っていうことも、慎重にやらないと、また同じことを繰り返します。

ネガティブにずっと「事件」を大切にするのも良くないと思うけど
きちんと、「何故、私に、このタイミングで、このことが」
っていうのを、・・・困難を分析し、成分を抽出し、
そういうことも、大事だと思いますね。
そして困難をポジィティブにとらえる
ということが、とても大事。 真っ黒な事なんて本当にないから!

たとえば人関係がいつもうまく行かない、みたいなひとに
やっぱお家で甘やかされているんじゃないかなあって思う時があります。
放っておかれても、「付き合い方がわからない」で、上手く行かないけど
逆もまたしかり、だったりするのです。

家庭での「甘やかし」はあまりにも自然で 当たり前で
そのまんま外に行って、自然にふるまうと
もちろん他人は、親子のように利害関係もないし 重要度も低いから
それは、上手く行かなくなって当然だし

でも本人にとっては「何が違うのかわからない」
ってなるのですよね。
でも、商売と同じで
付き合いで使う「愛」にも、バランスが合ってないと、それは失敗します。

「他人と会う時は、何を与えるために会いなさい」
知識なり お菓子なり 手ぶらで行くなと 聖人マハリシもいってます。
それが出来ないと、上手く行かなくなるのは当然なのです。

我儘とは思ってなくても 自覚は無いんだと思いますが
家庭で甘やかされたふうの人っていうのは、欲求をいち早くはっきり言ったりしますが
逆は、隙も作らせません。他人のは一切受け取りません。

他人を受け取る訓練もなされてないし
他人を上手く「使う」みたいな技を、ばっちり身に付けていたり。
それは家庭では、許されて、喜ばれて、突っ込まれていない。

しかし他人は「なんだ、受け取ってくれないな、もう、無理だなこの人とは、損害ばかり」、そう思うんだと思う。当然ですね。

やはりそういう人は、末には大きな痛い目に遭っているようです。
そして、「被害者」という立場に浸ってしまう。

こうやって、「鳥の目線」、で、他人の行動を見るとよくわかりますが
「そりゃあ、痛い目に遭うのは当然・・」
って思うんです。

家庭での催眠っていうのは、凄い。
共依存は、すごい。

困難には、必ず意味があって
ショック!を受けた後
後ろ向きになるっていうのだけは、つまらないと思う。
逃げても結局、大きくなって帰ってくるから。
神様が与えた課題、だと思うんですよね~~。

甘えを解消しないで、「私は悪くない!」って逃げて
結婚できなくて 家族に依存して とか
結婚して旦那に依存して そこを突かれて とか

そういうの、いっぱいありますよ。・・・幸せには見えません。
病気になったり、迷惑を自然にする人になってたり。

私も、甘えを突っ込まれて 家族が死にましたけど!
あの事件を与えてもらってよかった~~って思う!
むしろ、あのまま行ってたらエライことだった。

年取ってから、結局また神様は突っ込んでたと思うんです。
でも、年取ってからの事件は、やはり、大変だと、思うんです。
そこまでに、どれだけ失ってただろうって思うとぞっとする。

魂の課題は、早いうちに取り組むほうがいいに決まっている。
いつ取り組んでもいいけど
やはり 繰り返すから 

魂はレベルアップを常に狙う習性があるから
1個でも多く、課題をクリアし、充実した今世と来世に向かうのがいいと思う~~

いじめはいじめられる側にも・・・っていう話は、人に依るから、一概にはそう思わない。悲惨なケースも、理不尽なケースもあるのだろう。
自殺、殺人、事故、などなど、いろんなことがありますが

情報を取り出す
意味を考える

それは、有意義なことだと
思わずにはおれません。

一歩、踏み出すことを、お勧めします。