ある日、他人の言った、とある言葉に反応・意識をし、その言葉が離れていかないことが時々ある。

本日の表題は、そんな言葉の一つ。

モニターさんをじっくりさせていただいて
私はすっかり、自分の偏見・深いコンプレックスが抹消された。

幼少期を幸せに過ごしたと思われる人も
そうでないと感じている人も
若しくは全くそういうことに注目しない人も来室されましたが
それぞれに 恵まれていたり そうでなかったりすることがあって

幼少期の幸せは、かなり決定的な、大人になってからの人生を左右しているという要素ではないか、
というコンプレックスは、微塵も私の中に残っていません。

人を、世の中を知るということ、そしてそれは催眠ということを通して
・・・その大きさは、凄さは、思い知りました。

才能の方向性というか、魂が必要な環境を選んでやってくるというのは本当
・・・そう思うことしかできなくなりました。
凄いよね。これを、当たり前と思えなくて苦しんでいる人が多いのですから。

幼少期が幸せだった人の持つ不幸
幼少期が悲惨だった人の持つ素晴らしさ

というのが、つまり、あるんですよ、ということを言いたいのですが

人生が、うまく行ってない人というのは
幼少期からの不幸な影響をそのままにしている

ということなのでしょう。
そしてそれは、幼少期の幸せ・否にかかわらず、平等に有りますということみたいだ。

そして、それを、「母性・女性性」というキーワードで(女性がメインの催眠部屋なので)お話しすると

幼少期が幸せだった人は 「女性性が足りない」傾向にあり
そうでない人は 「女性性過多傾向にある」

そういう過多傾向の方が、トラブルに見舞われていたりするようです。

バランス、という言葉は、神に等しい、といつも思うのですが

・・・私が短く勤めていた「不登校カウンセリング」のクライアントさんたちにも、同じようなことが言えました。

放任か過保護、という2極に別れておりましたね、母親に問題がある感じのケースでは。

放っておいても逆にかまい過ぎても、子供は引きこもる、のです。

幼少期が幸せでっていう人は、そこに甘えると、自己中になってたりします。
それが悪いのではなくて、子供を育てるには、不利になってたりすることがあるということ。母性は、少し、子供の陰になって尽くすという場面も大事だと聞くので。

幼少期が不幸でっていう人は、逆に、自分の不幸を埋め合わせるかのように、「尽くす」ことに没頭・充実感を覚え、やり過ぎて失敗していることが多い気がします。
自分を殺すまで、子供に尽くしているケース、ともいえる気がします。

結構、この後者のケースは多くて、しかもご本人は無自覚なケースも多いです。

いずれにせよ、母性のバランス、女性性である「潜在能力を見出して、育てること」が乱れていて、結局

子供の魂・育てる対象(芸や、部下なども含む育て全般)を大事にしていない

という事に変わりは無く、やはり結果がよくない、って感じがしています。

前回も書きましたが、自分を大切にすることが一番
さらにいうと 他人(子供を含む)の人生も尊重して扱いましょう
ということも、とても大切なのです。
手を出すバランス、ともいえるだろうか。

私自身もカウンセリングでこのバランスを少し乱すことがあって、反省するのですが

改めて、このバランスの大切さを、考えたのです。ずっと最近。

世間ではやっぱり、「思いやりはあればあるほど・・」的な方向だと思います。

自分を一番大事にとかいうと、すぐ自己中とかいうんですよ、奴隷が求められているから世の中は・・

そーじゃない。

そーじゃないから、・・・
幼少期の、過多な、感情を、フリーにしてください、

催眠療法士として、そう、提案します。